|
| ------------ 住 職 語 る ------------ |
| ■餓鬼って何?誰? --4月-- |
今回の法話は音声付きです(ファイルフォーマットはMP3)。 サイズの関係で前編・後編の2つに分割しました。 前編(約4.4Mb/4:43) 後編(約6.0Mb/6:27) |
 |
たいていのお寺では宗派に関係なく施餓鬼会(せがきえ)あるいは 施食会(せじきえ)といった行事を行なっています。
当山でも毎年たくさんの檀信徒のみなさんがお参りに見え、 年中行事の中でも最大の行事となっています。
その名の示すとおり、餓鬼に施しをする一大法要行事のことです。
ご承知のとおり地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の世界を六道と言います。
仏界に至らない迷いの世界のことです。
その中の餓鬼道は下から2番目の世界で、特に欲得に溺れた者が堕ちている世界とされています。
本堂の正面に供養棚を設置し、多くの僧侶の読経の下、飢渇の餓鬼達を集め、 種々無量の食べ物を与えその飢えを満たしてあげます。
陀羅尼のお経があってはじめて食べ物が飢渇の喉を通るのです。
貪欲、渇愛に溺れ成仏できない有縁無縁の餓鬼達に、気の毒に・・・可哀そうに・・・ との思いも俄かに湧いてくる気さえしてまいります。
目に見えない哀れな餓鬼ども・・・
しかし、そこには目に見えないそれら多くの餓鬼の他に、 実は多くの目に見える餓鬼が集まっているのですよ。
それは一体誰でしょうか?
それはそこに集まっているすべての施主の人たちのことなのです。
まちがいなくあなたもそのうちの一人なのです!
どうです、驚きでしょう。ショックですか?
まさかねぇ。
自分が餓鬼なとどはこれまで思ったこともなかったし、言われたこともありません。
しかしちょっと失礼千万だよねぇ・・・などと思っておられるかも知れませんね。
でも、実際に本当の餓鬼があなたの心の中に住んでいるのです。
いや、間違いなく全ての人の心の中に住んでいると言ってもいいでしょう。
ただ人によって餓鬼の程度もまちまちで、比較的おとなしい餓鬼から、 ひどい餓鬼になるとその人自身の破滅をもたらすこともよくあるのです。
餓鬼の正体、それは、物欲や名誉欲からくるところの欲そのものなのです。
欲の無い人っていませんものねえ。ただ問題はその程度なのです。
小欲のうちはよろしいが油断するととんでもない貪欲・渇愛に満ちた立派?な餓鬼になるのです。
(一時世界一の大金持ちになったそうですが、その欲得がとどまるところ知らず、 拘置所に入っていた人がいますね。文字通り餓鬼道に堕ちてしまっているのです。)
ではどうすればその貪欲餓鬼をいさめることができるのでしょうか。
それはただ一つ「布施」をすることです。
布施とは見返りを一切求めない純粋な慈愛の行為のことです。
苦しんでいる者や有縁無縁の餓鬼に布施することが、自分の中の餓鬼心を 仏心に変えていく最も効果的な行為とされています。
お寺の施餓鬼会法要に参加するということは、つまり施食棚の餓鬼に「布施」することであり、 同時に自分の中の餓鬼にも供養していることになるのです。
餓鬼も修羅も畜生もそして地獄も仏も全て我がこの身の内に宿っていることを と自覚することが肝心なのです。
まさに、「仏道をならふというは、自己をならふなり」です。 合掌 |
|