千葉県南房総館山市にある曹洞宗のお寺です。水子供養・永代供養・ご祈祷などのお申し込みは当山まで。坐禅体験もあり。

曹洞宗 正木山西光寺

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法話

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極楽浄土(1)--極楽ってどんなところ -- 平成18年3月

昨年の3月にこのホームページを開設してまもなく一年になりますが、お陰様で六千件のアクセスをいただきました。これからもよろしくお願い致します。

さて、極楽ってよく聞きますがどこにあるのでしょう。
正式名称は「西方極楽浄土」といい西方十万億土を経た所にあるといわれています。
そしてそこは、阿弥陀如来が支配している仏国土とされています。
では極楽ってどんなところでしょうか。それが今回のテーマです。

極楽の極はきわみ、最高ということ。その究極の楽の世界――それが極楽なのです。
そこは苦患の全くない安楽の世界と言われています。まさに理想郷であるのです。
そんな理想の世界とは一体どんなところでしょう。
まずみなさまは極楽をどの様にご想像されているのでしょうか。

辺りには宮殿や楼閣がそびえ建ち、仏を讃える雅楽声明が穏やかに響き渡り、辺り一面には馥郁たる香が漂っている。 人々のマイホームは全て豪華な宮殿造り。
家のあらゆるところは四宝(金・銀・瑠璃・水晶)で飾られ、庭園には七宝(四宝にシャコ貝、珊瑚、瑪瑙を加えたもの)の池、その池の中には大きな蓮華の花が華麗に咲き乱れている。

人々はあらゆる装身具で身を美しく飾りたてている。
食卓には各人の好みに応じた山海の珍味がふんだんに盛られいつでも鱈腹食べられる。
どこを見ても美男美女しかいない。
人々は自由を謳歌し、享楽と官能的快感に酔いしれている。

食欲、性欲、睡眠欲はいつでも完全に満たされている。
言葉ではとうてい語り尽くせぬほどのただただおもしろおかしい楽園の世界――― もしそのような世界を想像していたとしたらそれこそ大変な間違いです。
犯罪的誤解と言ってもいいかもしれませんよ。(そんな言葉ありませんか。)

「ただただおもしろおかしい楽園」とは単なる本能と欲望に満たされた快楽の世界に外ならないのです。
快楽は麻薬のようなもので更なる快楽を喚び求めるため更なる欲望の世界に引きずり込まれていくのです。

快楽に溺れ退廃の先にあるのが畜生、修羅、餓鬼、地獄の世界なのです。
快楽と安楽はまったく別のものです。
先にも申しましたが安楽とは仏の世界を意味します。
安楽の極致が「極楽」なのですから。

では本当の極楽ってどんなところでしょうか。
そこは全てが揃っているので欲しい物は何も無い。
いやなこと、いやなものは何もない。いやな人間も一人もいない。
不満がないから詐欺、暴力、強盗、殺人、テロ、戦争などまったく起こらない。

人々は全てにおいて満ち足りていてストレスも無く心もからだもいたって健康。
病気にもならない。年もとらない。もちろん死ぬこともない。
不都合は全く無い安楽の世界―――― それが真の極楽なのです。

どうですか。快楽と安楽の違いがわかりますか。
ここのところが最重要ポイントなのでここをどうか混同しないでしっかり把握してください。
<全てが揃っているので欲しい物は何も無い>ということは、知足(ちそく)の世界だということです。

徒に欲望のない世界だということです。満ち足りているということです。
貪欲や渇愛の結果飢渇にあえぐことになるのです。
「汝等比丘、若し諸の苦悩を脱せんと欲せば、当に知足を観ずべし。
知足の法は即ち是れ富楽安穏の処なり。」 (遺教経) このようにお釈迦様もさいごの説法で力説していらっしゃいます。

<病気にもならない。年もとらない。もちろん死ぬこともない。>とは人々の永遠の願いですね。
先月の「涅槃会」の中でも申しましたが、涅槃の世界には「死」がありません。
<不都合は全く無い>とは「諸法無我」の世界であり、涅槃の世界だということです。

まだよくわからない人のために更に申し上げましょう。
つまり安楽の世界には人間社会に有る「四苦八苦」が無いということなのです。
「人生は一切皆苦」であると1月の法話のなかでも申しあげてきました。
一切皆苦の中身が四苦八苦だといいました。
この四苦八苦から解放されることが安楽なのです。

安楽の安は「安心」(あんじん)の安です。
不安や迷いの無い「不動の境地」であり、それは同時に一切の「苦」の無くなった境地に外なりません。
このように「快楽」と「安楽」の世界は似て非なるまったくの異質の世界なのです。
「苦」から解放されることが真の「楽」なのです。

それが安楽であり、その極致が極楽なのです。
なんだかまだよく分からないと思っている方の為にもう一つ卑近な例で申し上げましょう。
特に何かで一度でも大変なつらい、苦しいことを経験された人ならわかるとおもいます。

ほんとうにつらい苦しいことから解放された時のことを思い返してみてください。
「何も無いこと」がどれほど楽か。
「何も無いこと」がこれほど楽だったとつくづく思いませんでしたか。
思い当たる節はありますか。そこなんです。

無事がなにより。無事が一番。無事が最高なのです。無事で安心。
無事が安楽なのです。
そんなエラそうなことを言っている私自身にも経験があるから言っているのです。
無事こそ息災なんです。
そんな「無事で安心の境地」、これが安楽であり極楽へ通じているのです。

禅語にもあります。
「無事是貴人」(ぶじこれきにん) 人間はもともと何も持たない存在であるから、余分な事や物を持たない境涯こそ貴人(ほとけ)である。

以上、今回のテーマ、極楽の様子については少しは理解していただけたと思います。
「一切の煩悩から解放された安楽の世界」が「極楽」だという。
ではその極楽という「理想郷」はなぜ西方十万億土も経た所にあるというのでしょうか。

西方十万億土とはあの世のことでしょうか。
ではあの世とはどこにあるのでしょうか。
次回はほんとうの極楽浄土のあるところへご案内いたしましょう。

合掌

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