千葉県南房総館山市にある曹洞宗のお寺です。水子供養・永代供養・ご祈祷などのお申し込みは当山まで。坐禅体験もあり。

曹洞宗 正木山西光寺

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法話

法話

恩 (その1)― 四恩 ― --平成18年8月

仏教では、人は生まれながらにして四つの恩を戴いているとされています。
これを四恩(しおん)と申しまして、国王(国家)、衆生、三宝そして父母の四つの恩です。
恩という字は心の上に因という字が乗っています。
因は「もとづく」とか「うけつぐ」という意味です。

「心」の上に「受け継いでいるもの」を乗せているのが「恩」なのです。
「受け継いでいるもの」とは「お陰」です。
私たちは様々な「お陰さま」を受けて生きているのです。
その四つの大きなお蔭さまが「四恩」です。

四恩を自覚することが「恩義」であり、人が他の生き物と一番違うのはこの恩義を持っているということです。
これは間違いありません。この恩義に感謝することが報恩への道なのです。

しかし、どうでしょう。
世の中特に最近ではこの恩義を感じない人が増えてきてはいないでしょうか。
恩義を感じないと人は利己的になったり、自己中心的になるのです。
当然「おもいやり」の気持ちはありません。
思いやりが無いから、いじめや暴力が生まれるのです。

毎日のニュースをみてください。
親の子殺し、子供の親殺し、詐欺、ストーカー、強姦、放火、殺人、などなど凶悪犯罪が後を絶ちません。
今や日本も犯罪大国になってしまいました。
犯罪はすべて「おもいやり」の無い自己中心的、短絡的思考の結果なのです。

子供の犯罪も増えています。
躾がどうの教育がどうのという次元を超えてしまっているようです。
今ほど心の教育が求められている時代はありません。
心の教育・・・それが「四恩」の教育なのです。
はじめに申しましたように、人が人として受け継いでいる四つの恩を心に刻んで欲しいのです。

本宗の本尊上供という法要の中に「四恩すべて報じ・・・」という回向文があります。
人は人である以上これら四つの恩を自覚し、それに報いるべく努めることが仏教徒としての務めであると謳われています。

先ず国王の恩ですが、国王とは国家社会の指導者です。
有史以来それぞれの民族は自衛と繁栄のために国家を建設し、その中心にいたのが国王であり君主であったのです。
民主主義社会の現代では国の指導者や国家それ自体がそれに相当すると言ってよいでしょう。
今でもこれからも国民の一人一人は国家社会の庇護と恩恵を受けていることを忘れてはいけません。

次に衆生の恩ですが、衆生とは生きとし生ける一切の命ある生き物のことです。
人はこの一切衆生との関わり合いの中で生かされているのです。
また衆生とは広い意味では生物無生物を問わず環境の全てと解釈すべきだと思います。

次に三宝です。これは仏・法・僧のことです。
申すまでもなく仏教徒にとってこの三宝が原点であり信仰の拠り所となっています。
仏は仏陀であり本師です。
法は仏陀の真理の教えであり、僧はその教えの修行者であり同時にリーダーなのです。

最後が「父母の恩」です。
人は父母を縁として人はこの世に生を受けたのです。
「願生此娑婆国土しきたれり」(修証義)この世に生まれたいという願いを両親が叶えてくれたのです。
これこそ絶対の「恩」なのです。

その父母もそのまた父母の恩を戴いているのです。
つまり父母の恩の連鎖が御先祖の恩なのです。
まず親や御先祖の「こころ」を知ることです。
そのこころを自分の心に乗せて受け継ぐことが「恩」なのです。
そしてその恩をさらに子々孫々に伝えていくことが「報恩」であるのです。

この夏ある若者(女性・20代)が叔父という人と二人でうちのお寺にやってきました。
彼女は父親の遺骨を持参しました。自然葬をしたいとのことでした。
話を伺うと、自分たち3兄妹がまだ幼い頃両親は離婚をしてしまったそうです。
以来自分たちは母親のもとで育てられたとのこと。
だから父親の「存在」は記憶にも気持ちの中にもまったく無かったそうです。

そんな父親が最近あるアパートで孤独死をしてしまったそうです。
警察からの連絡で戸籍上身元引き受け人となり火葬までは済ませたとのことでした。
兄妹の話し合いの結果「特にお世話になった人でもないので自然葬で海に流そう」ということになったというのです。
そこで自然葬の相談にうちのお寺にやってきたという次第です。

私は「自然葬も今では業者がいくつもありますから可能ですよ。
でも自然葬も葬儀ですから葬儀をすることになりますよ」と申しました。
そしてインターネットで検索した業者のコピーを渡しました。
「ではまた話し合ってみます」と言って彼女は遺骨を置いて帰られました。

それから数日後長男という方が見えて「お骨を頂きに来ました。やはり海に撒くことにしました」とのことでした。
結局彼らは葬儀も一切の供養もせずにある外房の海に遺骨を流してしまったのです。
ただ娘さんだけは反対したそうですが二人の兄(一人は弟?)には逆らえなかったそうです。

自分たちでハンマーで砕骨し、海に行って撒いたそうです。一切の宗教的儀礼も無く。
これが「自然葬」になりますか?浮かばれますか?捨てただけのことです。
「自分達は何の世話にもなっていない人だから・・」と言った言葉が忘れられません。
彼らに「父親の恩」は無かったのです。

次回は「父母の恩」についてもう少し考えてみましょう。

合掌

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