千葉県南房総館山市にある曹洞宗のお寺です。水子供養・永代供養・ご祈祷などのお申し込みは当山まで。坐禅体験もあり。

曹洞宗 正木山西光寺

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法話

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因縁(その2)-- すべては現象であり無常である --平成19年5月

前回は、何事も原因があって結果があるのであり、「原因の無い結果はない」し、「結果の無い原因はない」ということを述べましたが、今回はその因縁の実体について考えてみました。

この世の中に存在するもので、原因が無くて存在するものは何一つ無いのであって、あの山、この川、あのビル、この家、あの木、この花、あの人、この人、そしてあなた自身を含め、全ての"もの"には存在する原因があるから存在しているのです。

いや、「存在しているから原因が有る」といた方がよいかも知れません。
例えばここに一つの蜜柑があります。その存在の原因は、誰かがここに持ってきたという原因があるわけです。
さらにその原因にはその人がその蜜柑を手に入れたという原因があり、その先には誰かがそれを育てたという原因があり、更にその先には誰かがその種を蒔いたという原因があるのです。

結果も同じことです。「存在しているから結果が有る」のです。
例えばこの蜜柑が誰かに食べられました。
その結果その種が捨てられ土に埋もれました。
その結果やがて芽が出て実が生りました。
その種がまた土に埋もれました。また実が生りました。

つまり、「存在」とは即ちそれ自体が「原因」と「結果」であるということです。
そして、原因を辿ればその原因がその先に無限にあるのです。
結果も同様で、結果の結果がその先に無限に続いているのです。
先に言いましたように、「存在」とは、あの山、この川、あのビル、この家、あの木、この花、あの人、この人、そしてあなた自身を含めこの宇宙に存在するすべてのものを指します。

ではその「存在」の実体とはなんでしょうか。
その実体とは「現象」なのです。
この宇宙にあるものはあなた自身を含め全て「現象」なのです。
般若心経にある色(しき)とは「存在」を意味します。
空(くう)とは現象を意味します。
「色即是空」すなわち存在は現象であるということです。

「かくて五つの智慧がある。明らかに見ることがすなわち智慧である。
その主旨とするところを説いたのが、色即是空であり、空即是色である。
色とは色であり、空とは空である。百草がそうであり、よろずが現象である。」「正法眼蔵(摩訶般若波羅蜜)」

また、この宇宙に存在する全ての"もの"を森羅万象といいますが、それを「諸行」と言います。
諸行の「行」はパーリ語でsankhara(サンカーラ)と言って「つくられたもの、できあがったもの」という意味です。

現代語で言えば「現象」といいます。
ですから「諸行」とは「森羅万象の現象」という意味になります。
現象は「瞬間の状況」という意味ですから、現象には「固定」とか「本来」はありません。

いつでも生まれたり壊れたりして変化し続けているだけのものなのです。
現象は瞬時に変化する一時的なものであるから「無常」なのです。
これを「諸行無常」と言います。
この智慧こそ仏教の最も大事な三大支柱として「三法印」といわれるのです。

例えばここに一個の電球の光があります。その光は「存在」として認識できますね。
この光は電子が猛烈に活動しているから「存在」として安定しているのです。
しかし、その電子の動きが一瞬でも止まってしまえば同時に光は消えてしまいます。
光の実体が現象であることがわかります。

これと同じことが存在するすべてのものに言えるのです。
以上、森羅万象という一切の「存在」は「現象」であるから「無常」であるという理論を認識していただけたでしょうか。

その存在の全てのものと言えば、繰り返しになりますが、勿論あなた自身も含まれます。しかし、自分自身も現象であり無常であるというこの事実が悟りの智慧として認識ができないから人は「苦」から解放されないのです。

一切の存在は現象であるから無常であるという真実。
そしてその無常とはただ漠然とでたらめに「無常」ではないのです。
そこには絶対の法則があるのです。その法則こそ「因縁」なのです。

その因縁の法則に従って一切の存在は無常なのです。
その流れは無限の過去にさかのぼり、永遠の未来へと流れているのです。
次回はその「法則」について考えてみましょう。

合掌

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