千葉県南房総館山市にある曹洞宗のお寺です。水子供養・永代供養・ご祈祷などのお申し込みは当山まで。坐禅体験もあり。

曹洞宗 正木山西光寺

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法話

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こころ(8)-- 達磨安心--平成21年2月

今回は公案、無門関第四十一則「達磨安心」(だるまあんじん)をとりあげました。

「心を安心させてください」という願いに対して、「その"心"をもってこい」という公案です。
達磨大師の「面壁九年」は有名ですが、この話(わ)はその間に起こった二祖(慧可大師)との問答であり禅宗史上特に有名な公案の一つです。

本則
達磨面壁す、二祖雪に立ち、臂を断つて云く、弟子、心未だ安んぜず、乞う師安心せしめたまえ。
磨云く、心を将(も)ち来たれ、汝が為に安ぜん。
祖云く。心をもとむるに了(つ)いに不可得なり。
磨云く、汝が為に安心せしめ。竟(おわ)んぬ。

達磨は少林寺に留まって日々面壁坐禅をしていました。
そこへ修行中の二祖がやってきました。
彼は雪降る中に長く立ち、自ら臂を切断し、達磨に差し出して言いました。
「私は、心が未だ不安であります。どうか私のために安心させてください。」と。
すると達磨は、「それではおまえさんの心をここへ持ってきなさい。安心させてあげるから。」と答えました。
二祖は、「その心を探しているのですが、とんと見つかりません。」と言いました。
達磨は「さあ、もうちゃんと安心させてあげたよ。」と言いました。

達磨は梁の武帝との会見に失望し、揚子江を渡って北魏に入り、崇山の少林寺に留まり、日々坐禅をしていました。
そこへ神光がやってきました。後の二祖慧可です。
神光は儒教や道教に関する深い研鑽を積んでいたのですが、その教えにあきたらず、四十歳にして達磨大師が少林寺におられることを聞いてやってきたのです。

神光は教えを仰いだのですが、達磨は面壁端坐して一向に何の言葉もくれません。
その日、十二月九日の夜は大雪となりましたが、神光はその中庭に立ち続けました。
二祖は思いました。昔人は道を求むるのに命がけで向かわれたのだから自分もその覚悟を要するのだと。

積雪は膝を越す位になったとき、達磨はやっと口を開いて問いました。
「汝は久しく雪中にいるが、一体何をもとめているのか」と。
神光はこの言葉を聞いて感激の涙にしたりつつ、「和尚、大慈悲をもって甘露の法門を開いて、御導きください」と懇請したのです。

達磨は応えました。「諸仏の無上の妙道は、精進行じ難きをよく行じ、忍び難きを忍ばねばならぬ。ささいな徳や智慧、軽心や慢心をもって、真実の教えに向かってもそれは徒に苦労するだけである」と。

神光はこの言葉を聞いて、にわかに刀を取り出して自らの左臂を断って達磨の前に置いたといわれています。
達磨はこの神光の覚悟の程を受け、改めて入門を許し、名を「慧可」と改めました。
その後の修行の中での出来事が今回の問答なのです。
この問答の前には次のような問答があったとされています。

慧可曰く、「諸仏の法印、得て聞く可しや」
(仏さまの悟りについて教えて頂けましょうか。)
達磨曰く、「諸仏の法印、人に従って得るにあらず」
(悟りは他人によっては得られない)
このあとに「本則」がくるのですが、再度その要点を看てみましょう。

二祖

「弟子の私は、心が安らかではありません。どうか老師、私を"安心"させてください」

達磨

「ではその"心"を持ってこい。おまえのために"安心"させてあげよう」

二祖

「"心"を求めましたが、まったく得ることはできませんでした」

達磨

「おまえのためにちゃんと"安心"させてやったぞ」

主題は「安心」(あんじん)です。
「安心」とは、言うまでもなく「悟り」によって得られる一切の迷いから解放された大自由の心、これを「安心」というのです。
この公案の狙いはその「安心」の"実体"を悟ることにあるのです。

さて、ではこの公案はどう看ればよいのでしょう。
達磨が「その"心"をここに持って来い」と言ったのに対して、二祖が「心不可得」(心が見付けられませんでした)と言いました。
その「心不可得」の一言にこの公案の答えが秘められています。

では、その一言をどう解釈すればよいのでしょう。
「心不可得」を単に言葉の意味の上から理解しようとしてもまったくダメです。
公案はすべてそうですが言葉に囚われないことです。
一切の分別と理屈を超えたところの"もの"を見付けるのです。

その「もの」とは、「心不可得」という言葉"そのもの"です。
「言葉そのもの」とは、その言葉自体の「実体」を意味します。
"そこ"が分かるかどうかが勝負です。
分別や理屈で考えていたのでは公案は絶対に分かりません。

ではその「心不可得」"そのもの"の「実体」とは一体何でしょう。
それは「無心」です。
無心とは心が無いと書きますが、文字通り「心」を無くした境地のことです。
「心不可得」(心が得られません)と一心に成りきって言葉に出して言うとき、言葉の意味を考えながら言う人はいません。
言っている瞬間は「無心」の筈です。"そこ"です。「そこ」に答えがあるのです。

実を言えば、「そこ」とか「無心」とか、本来公案を"説明"することは邪道なのです。
なぜかと言えば、「説明」はそれ自体が分別や理屈になるからです。
言うまでもなく「禅」に理屈や分別は通用しません。
師家の室に入れば「説明」は一蹴されてしまいます。
独参ではただ「事実」のみが問われるからです。

とは言え、ある程度の言葉がなければ「事実」は伝わりません。
そのために師家は「提唱」するのです。
提唱は解説ではありません。講話でも法話でもありません。
「提唱」は特に高い見識と実力を認められた「師家」だけに与えられたものです。
それだけに「提唱」の言葉には仏祖の代弁者としての重みがあるのです。

全国にお師家さまは大勢いらっしゃいます。
是非"本物"の「提唱」を拝聴する機会を得られたら如何でしょうか。
但し、本物かどうかを見極めるにはそれなりの「説明」を見極める見識が必要でしょう。

私は師家ではありませんし一介の愚僧ですから私の"説明"は単なる「説明」に過ぎません。
しかし、敢えて私見を言わせてもらえば、巷に溢れる公案の解説書の多くは「説明」にもなっていません。
単なる知識の羅列だけでは「説明」にもならないということです。
言い過ぎましたらごめんなさい。

さて、言い訳したところで愚僧の"説明"をもう少し続けましょうか。
「心不可得」という一言を慧可は「無心」で言ったのです。
その「無心」こそ「心の実体」なのです。
だから、そこに間髪入れず「そーら安心しただろう」と達磨が言ったのです。

それが一転語となって慧可は「心不可得」それ自体が元々「心可得」だったと気付いたのです。
つまり言葉「それ自体」が「心」だったと悟ったのです。
「心不可得」が「心」であれば、それは同時に「心可得」も同じことです。
こうして慧可は「心」の「実体」を悟り本物の「安心」を了得したのです。

まだ難しい方のためにさらに説明するとすれば、「心不可得」それ自体を無字の公案の「無」と捉えるのです。
「心不可得」を「無」に置き換えることができれば即座に「無心」が出現します。
イヤ「出現」すると言うより元々「無心」だったことが分かるのです。

では、最後に"説明"抜きで敢えてこの公案の答えを私なりに体現してみましょう。
「心不可得」(心が得られませーん)←無心で特に大声で←この部分は"説明" どうですか?みごとに「心の実体」が体現されていますね。(←厳密に言えば文字を通しているので"本物"ではありません。念のため。) 愚僧のこれまでのクドクドした"説明"など吹っ飛んでしまったでしょう。

さて、この公案とちょうど同じような話が徳山禅師の「三世心不可得」です。
参考までに紹介しておきましょう。
徳山は四川省から旅立って途中ある餅屋に立ち寄ります。
そこでの老婆との問答です。
徳山は実に優秀な金剛経の大家でしたがその時はまだ開眼してはいませんでした。
徳山はその老婆の餅屋で点心(おやつ)にしようとしたのです。

老婆

「そのかついできたものは何ですか」

徳山

「金剛経の注釈書です」

老婆

「わしに質問がある。もし貴僧が答えることができれば、ただで餅を差し上げましょう。もし、答えられなければ、よそへ行きなされ」

徳山

「どうぞ質問してください」

老婆

「金剛経に『過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得』とあるが、あなたは一体どの心で餅を食べるのか」

徳山

無言

徳山は餅を売る老婆にぐうの音も出なかったというエピソードです。
徳山は「心」という文字に「心」を奪われてしまったのです。
心で餅を食べるとでも思ったのでしょうか。餅は口で食べるに決まっています。
彼には心が何か分かっていなかったのです。
心の「実体」が分かっていれば、彼は黙って餅をつまんで食べ、ただ「ああ旨い」と言ったでしょう。

この公案の狙いもまったく同じ「心の実体」です。
「心の実体」が分かれば「餅の実体」が分かります。
同時にそれらは別々の「もの」ではなく、元来一つの「もの」だったことが分かるのです。
「三界唯一心」という言葉がありますね。
真実は極めて単純明解です。禅はそれを教えてくれます。

合掌

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