千葉県南房総館山市にある曹洞宗のお寺です。水子供養・永代供養・ご祈祷などのお申し込みは当山まで。坐禅体験もあり。

曹洞宗 正木山西光寺

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法話

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十大弟子(舍利弗尊者)--四諦--平成22年4月

今回は舍利弗尊者(サーリプッタ)のお話です。

智慧第一と称され釈尊が特に信頼をよせていたといわれます。
「般若心経」の中には釈尊の説法の相手となり「舎利子」として登場されています。
また「阿弥陀経」の中で釈尊は阿弥陀仏と極楽浄土の様子について語るなかで「舍利弗よ」と三十七回も語りかけています。

彼は裕福なバラモンの家系の生まれであり、目連尊者とは幼友達でした。
あるとき目連と二人で祭り見物にでかけました。
そこで祭りに酔いしれ狂喜乱舞する人たちをみて、この人たちもやがて100年もしないうちに皆この世にいないであろうと思うと、言い知れない無常観におそわれたのです。

その思いを親友の目連に打ち明けると彼もまた同じことを感じていたのです。
このことがきっかけで二人は出家することになったのです。

二人とも、はじめは、六師外道のひとりである懐疑論者サンジャヤのもとで修行していましたが、どうしても満足の安心を得られません。
二人は日頃真の師に出会ったらお互いに知らせあう約束をしていました。

あるとき、舍利弗は街で一人の修行僧に出会いました。その清清しい立ち居振る舞いに感動して思わず尋ねました。
「あなたの師はだれですか。その師の教えはどのようなものですか?」と。

するとその僧は答えました。
「私の師は釈尊です。」と言って、「諸法は因縁より生じ、如来はその因を説き給う。」という偈文を述べました。

それを聞いた舍利弗はたちどころにその教義の偉大さを理解しました。
さすが智慧第一と称された人物です。彼は急いで目連のもとに行き、探し求めていた正師が見つかったことを知らせたのです。

目連も舍利弗から偈文を聞き二人は早速釈尊の弟子になることを決意したのです。
釈尊の教えに感銘を受けて舍利弗はサンジャヤの弟子250人を連れて釈尊に弟子入りしたと言われています。

やがて彼は阿羅漢(悟りを得て修行を終えた位の人)を得て教団内において、釈尊をして「私の次の席を得ることのできる智慧と徳を兼ね備えた第一の尊者だ」と言わしめる存在になったのです。

ただ残念なことは釈尊よりも早く入滅されたことです。
その舍利弗尊者が修行中に釈尊に問訊された「四諦」(したい)についてご紹介しましょう。

舍利弗

「世尊の説かれた教えの中で、もっとも基本的なものの一つに、四諦(したい)と呼ばれる四つの真理がございますが、これについてご説明いただけないでしょうか。」

世尊

「四諦というのは、苦・集・滅・道という四つの真理のことで、それぞれを苦諦
(くたい)・集諦(じつたい)・滅諦(めつたい)・道諦(どうたい)と呼んでいる。
苦諦というのは、『この世は苦に満たされているという真理』、集諦というのは、『この世が苦である原因は人間の執着心にあるという真理』、滅諦というのは、『そのような執着心を断ち切るという真理』であり、最後の道諦というのは、『そのような執着心を断ち切るための方法という真理』なのだ。」

舍利弗

「そして最後の道諦の内容を述べたものが、確か、まとめて『八正道』と呼ばれるものだったのではないでしょうか」

世尊

「その通りだよ、舍利弗。八正道というのは、正しいものの見方、正しいものの考え方、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい念(おもい)、正しい心の統一という八つの実践徳目ということになるのだ」

舍利弗

「はじめの苦諦ですが、人間が苦しまなければならないその原因の多くは自分自身に起因しているのでしょうか。
例えば欲望とか執着を断ち切れないでいることが苦の原因を作りだし、その苦しみによってあらたな苦の原因を作り出していることを意味しているのでしょうか。」

世尊

「もちろんそういった意味もあるが、それ以外にも例えば八苦の中の『愛別離苦』(あいべつりく)を考えても自分自身の愛の執着にあることがわかる。
例え別離していてもその人が愛着の対象でなかったならば苦しむことはないことになる。
したがって、欲望とか執着を断ち切ってしまいさえすれば、もはや苦しむ必要はない。それが『滅諦』である。」その方法としてあるのが八正道なのだよ。」

舍利弗

「『八正道』とはどのようなものなのでしょうか。」

世尊

「人の行為は身・口・意の三種類の行動が全てなのだ。
すなわち、身体でなす行為、口でなす行為、そして心でなす行為が、人のすべての行為ということになる。
人は誰でも修行することで、これらのすべての行為を正しい行為にすることができるというのが『八正道』の教えなのだよ。」

舍利弗

「八正道のそれぞれについて、もう少し詳しく説明していただけないでしょうか。」

世尊

「『正見』と言って、因果の道理を信じて正しいものの見方をすること。
『正思惟』と言って、正しいものの考え方をすること。
『正語』と言って、嘘や無駄口や悪口など言わないこと。
『正業』と言って、殺生や盗みや邪淫などよこしまな行為をしないこと。

『正命』と言って、恥ずかしくない生活をすること。
『正精進』と言って、怠惰のない正しい修行を行うこと。
『正念』と言って、正しい志と信念を持つこと。
『正定』と言って、心を正しく静め統一すること。」

舍利弗

「なんだか多くて混乱してきました。
正しいというのは、一体なにを基準にしているのでしょうか。
それに、出家している人にとってはどれも専念することができるかもしれませんが、在家の信者にとっては難しいように感じられるのですが。」

世尊

「『正しい』というのは、それが『悟り』に向かっているかどうかです。
出家者であれ在家者であれ、この四諦八正道こそ悟りに向かった真実の教えであることを信じて実践することです。」

舍利弗

「なるほどよくわかりました。
難しいことかもしれませんがその実践こそが真の修行であるのですね。」

今回の結論としては、どんなに優れた教えであっても実践がなければ意味がないということです。
すなわち、人の本当の幸せは、四諦八正道という「教えの実践にある」ということです。

合掌

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