千葉県南房総館山市にある曹洞宗のお寺です。水子供養・永代供養・ご祈祷などのお申し込みは当山まで。坐禅体験もあり。

曹洞宗 正木山西光寺

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法話

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十大弟子(優波離)--身・口・意--平成22年10月

今回は「持律第一」と言われた優波離(ウパーリ)尊者のお話です。

優波離はインドのカーストでも下層のシュードラの出身でした。
釈尊がまだ悉多(シッダルタ)といわれた太子の頃カピラ城で釈迦族のもとで、なんと阿那律の奴隷として仕えていた理髪師だったのです。
主人である阿那律や釈尊の実子の羅睺羅や金比羅など六人が釈尊の弟子になるということになりその一行に付き添って行かれたのです。

阿那律は出家するときに所有物を全部優波離に与えましたが、優波離は釈尊の教えの方が偉大だと言ってそれを断り、自ら出家を切望したのです。
主人である阿那律が釈尊に「世尊よ、願わくば理髪師優波離を本日受戒の最初としてください」と申し出て、釈尊は優波離を最初の受戒者とされたのです。

釈尊は、「出家以前において身分の違い、地位の高低など種々あるが、出家後はすべてその差別はない」と常に述べられていました。
仏教教団(サンガ)ではすべての者は平等でしたが、ただ一つ序列がありました。
それは出家順位です。身分や年齢に関係なく先に出家した者が先輩であり兄弟子になるのです。

その儀礼に従い阿那律達も優波離に礼拝したのです。
これを見て釈尊は「釈迦族の高慢な心をよくぞ打ち破った」と賛嘆せられたとのこと。
「本来人間に階級などない」という当時としては革命的な釈尊の教えが示された事例の一つです。

優波離が「持律第一」と言われたのは戒律に精通しそれをよく守ったからです。
サンガでの修行は厳しいものでした。
とくに釈迦族から集団で出家した阿那律や羅睺羅達貴族出身の若きボンボンにとってサンガでの質素貧窮の生活はさぞ大変なことだったでしょう。

その点奴隷出身であった優波離は、体は丈夫で貧しい暮らしにもよく慣れていたので、きつい修行や厳しい戒律も彼にとっては案外容易なものでした。
それに加え彼はたいへん律儀な性格の持ち主であり戒律に精通し、よく守ったことから、後に阿羅漢果(悟り)を得て、「持律第一」と称せられるようになりました。

釈迦サンガにおける規律は彼によって設けられたものが多く、釈迦入滅後、仏典のための第1回の結集では、彼は戒律の編纂の責任者として活躍したのです。

優波離

「世尊よ、わたくしどもが日常行っている行為を『身・口・意』と呼んでいますがどんな意味があるのでしょうか」

世尊

「身体で行う行為、口で行う行為、そして心で行う行為という三種類の行為を意味しているのだ。人はそれらの行為で自らの業をつくっているのであるからこそこの『身・口・意』を清らかなものにしなければならないのだ」

優波離

「身体の行為は行動であり、口の行為は言葉であることが容易にわかりますが、心の『意』の行為とはどのように捉えたらよいのでしょうか」

世尊

「身体や口で行う行為はすべて行動と言葉になって外にあらわれるのであるが、心だけは見えない。行動は心の作用によるものであるが、行動のすべてが心の表れだとは言えない。それは、人は心に反した行為を行うことがあるからである。一見正しい行為も邪心によるものかも知れないし、またその逆であるかもしれない。だから心こそ大事にすべきなのだ」

優波離

「確かに人は本心と行動と矛盾することがあります。建前としては立派な行為をしていても本音のところではまったく違ったことを考えていたりします。どんなに立派な行為であってもそれが心と一緒でなければ正しい行為とは言えないわけですね。」

世尊

「どんな立派な行為であっても、そこに邪心や下心があったのではそれは即座に悪行になってしまうのである。どんな行為であれ、行為のすべては心次第で善か悪かが決まってしまうのだ。『身・口・意の業』のすべてはすなわち心次第ということである」

優波離

「では、正しい心を持つためにはどうしたら良いのでしょうか」

世尊

「日常生活の中でわたしが制定した戒律を守ることがすなわち"正しい心"である。すべての生活の中で決められた戒律を身・口・意にわたって守ることだ。常にこの三つの行いを清めることのためにあるのが戒律なのだから」

優波離

「まず基本となる戒律をお示しください」

世尊

「では基本の十戒をしめそう。
(1)生き物の命を奪わない。
(2)他人の物を盗まない。
(3)姦淫をしない。
以上は身体で行ってはならない三つである。

次に
(4)嘘をつかない。
(5)二枚舌をつかわない。
(6)悪口をいわない。
(7)無駄口をたたなない。
以上が口で言ってはならない四つの行為である。

次に
(8)むさぼらない。
(9)怒らない。
(10)邪な思想を持たない。
以上は心が持ってはならない行為である。

特に最後の三つは人間が持っている最悪の愚かな心である。
すべての戒律はこの三毒「貧慾・瞋恚・愚痴」の心を諫めるためにあると言っても過言ではないのだ」

優波離

「世尊の示された戒律は、すべて"心の三毒"を除去するための手段であるということでしょうか」

世尊

「戒律の目的は単に三毒を鎮めるためだけのものでもない。あえて言えばそれは智慧を得るためのものである。智慧とはすなわち悟りである。悟り無くして心の安心は得られないからだ」

優波離

「世尊よ、戒律を守ることが無明からの解放であり、仏道であることがよくわかりました。解脱を求めて益々精進いたします」

釈尊の十戒は戒律というよりも人間としての基本道徳であり、宗教の壁を越えた人としての根本理念であり正義であるのです。
今人類が滅亡の危機に瀕しているとして、その原因を質すとしたら、間違いなくこの十戒の欠如にほかならないのです。

犯罪のそのほとんどは貧慾・瞋恚・愚痴から起こるのです。
個人にもならず者がいるように、国家にもならず者がいます。
おのれの欲望(貧慾)に溺れ近隣の諸国を恫喝(瞋恚)し侵略(愚痴)を画策しているアジアの某超大国などはまさにその最たるものです。

釈尊の十戒は人間社会の最低限の"きまり"です。それが守れない個人や社会、国家に幸福は絶対やってきません。個人も国家もそのことを肝に命じるべきです。

合掌

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