千葉県南房総館山市にある曹洞宗のお寺です。水子供養・永代供養・ご祈祷などのお申し込みは当山まで。坐禅体験もあり。

曹洞宗 正木山西光寺

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法話

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十大弟子(迦葉尊者)--無財施--平成23年1月

新年おめでとうございます。
おかげさまで70回目の「法話」を迎えることができました。
今後いつまで続けられるかわかりませんが、まずは今年一年間を目標に精進したいと思います。よろしくお願い致します。

さて、"十代弟子"も今回で最後となりますが、そのトリは迦葉(かしょう)尊者です。
釈尊の滅後、二世となって教団を率いたのはこの迦葉尊者でした。
彼もまたバラモンの出身でした。裕福な家柄の良い家に生まれました。
癇症で欲の無い子供でした。
特に潔癖に症が付くほどの性格からか、結婚は望まず出家を望んでいたのです。

なにぶん名家でもあることから両親が必死で結婚を説得して、やっと妻を迎えたのです。
しかしそれから出家するまでの十二年間、妻とは一度も床を共にすることはなかったといわれます。

やがて両親も亡くなり希望通り出家が叶い釈尊の弟子となったのです。
ある日釈尊と托鉢に出た途中、釈尊が木陰で休もうとしたとき、彼は自分の衣を脱いで畳んで釈尊の座布団にしたのです。

師の喜ばれているお顔を見て迦葉尊者はその衣を献上致しました。
それに対して釈尊も自分の袈裟を迦葉尊者に与えたといわれます。
彼は生涯そのお袈裟を何よりも大切にされました。
これが「伝衣」の始まりとなったのでしょうか。

迦葉尊者で有名なのは「拈華微笑」(ねんげみしょう)の故事です。(法話「以心伝心」22年 1月分参考
釈尊が霊鷲山(りょうじゅせん)での説法の折、金婆羅華の花を一輪手にして大衆に拈じ示したところ、誰もその意味がわからない中、迦葉尊者だけがニコリと微笑されたのです。

それを見て取った釈尊は、「わたしの仏法を今迦葉尊者にそっくり伝えた」と宣言されたのです。
釈尊から迦葉へと仏法が"以心伝心"された瞬間でした。
「伝衣」とこの「伝法」から釈尊の後継者は事実上迦葉尊者に決まったと言えるでしょう。

釈尊が故郷に向かう旅先の途中で亡くなったとき、迦葉尊者は別の旅先で訃報を受けました。
迦葉尊者は釈尊のもとへ急ぎました。
それまでの間、阿難尊者が荼毘に付すために棺に火をつけようとしますが、何度やっても火がつきません。

ところが迦葉尊者が拝んだあとで、パーッと燃え出したというのです。
まるで迦葉尊者の帰りを待っていたかのようでした。
釈尊の葬儀の導師を務めたことにより迦葉尊者が教団の二世となったのです。

釈尊が入滅されておよそ3ヶ月後、迦葉尊者は第一回目の「結集」(けつじゅう)を開きました。
結集とは、世尊亡きあと、その「法」を検証整理して後世に伝えるための「経典編纂会議」のことです。
迦葉尊者の呼びかけに王舎城郊外の石窟、七葉窟に499人の阿羅漢が集結しました。

もちろん阿難尊者もかけつけたのですが、ところが彼はまだ悟りを開いていなかったため阿羅漢の資格が無く入場できなかったのです。
しかし、釈尊の侍者として25年間いつもおそばに仕え、全ての説法の内容を知っている記憶力抜群の人だったといわれます。
それだけに彼抜きに経典の編纂はできないことは誰もが認めるところでした。

しかし潔癖で厳格な迦葉尊者は頑として阿難尊者を中に入れなかったのです。
それを受けて阿難はその晩死に物狂いで坐禅をしたのです。
結果ついに悟りを手に入れ、すぐさま迦葉尊者のもとに急ぎました。

迦葉尊者は阿難の悟りを認め結集(けつじゅう)に加えたのです。
そして500人の阿羅漢の中から阿難尊者を司会進行役に抜擢したのです。
記憶力の良い阿難尊者は「如是我聞」(わたしはこのように聞きました)と言って、とくとくと語り出し、こうして初めての経典編纂会議は粛々と進んだのです。

迦葉尊者の入滅は劇的でした。
第一回の結集からおよそ20年後、百歳になった迦葉尊者は三世に阿難尊者を指名し後を託されひとり山に入り禅定に入りました。
そこに三つの山が押し寄せ彼を飲み込んでしまったのです。
まさに壮絶な即身成仏でした。

「頭陀(ずだ)第一」とは「はげみ第一」ということです。
三衣一鉢というのが出家者にとっての全財産です。
その粗衣粗食に耐え修行を徹底される姿に釈尊は「頭陀」の模範だと称えました。

禅宗寺院に多く祀られている釈迦三尊仏は、向かって右脇に迦葉尊者、左脇に阿難尊者が脇侍となっていますが、舍利弗尊者と目連尊者の亡きあと、釈尊とその教えを護るのは自分たちだという決意が表れていて壮観です。

"十大弟子"とは、すべての人間が持ち合わせている人間性を代表した尊者達と言えるのかも知れません。
自分は彼等の何れに近いのかを考えてみるのも自分自身の内面を知る一助になるかもしれません。
ある日頭陀第一の迦葉尊者が『無財施』(むざいせ)について世尊に尋ねられました。

迦葉

「布施行のなかに、『無財施』がありますが、それはどんな内容なのでしょうか」

世尊

「まとめて無財の七施(しちせ)と言う。
一には身施(しんせ)
二には心施(しんせ)
三には眼施(げんせ)
四には和顔施(わげんせ)
五には言施(ごんせ)
六には牀座施(しょうざせ)
そして、七には房舎施(ぼうしゃせ)ということになる」

迦葉

「文字の意味から有る程度その内容を推測できますが、それぞれの具体的な内容についてお示し頂けるでしょうか」

世尊

「まず『身施』だが、これは肉体による奉仕なのだ。なかでも捨身行は、自らの生命を犠牲にすることだが、これこそ最高の布施行と言えよう」

迦葉

「しかし世尊よ、自らの命を失ってしまっては、自らの修行が不可能になってしまいますが」

世尊

「他の命を救うため、自己の命を捧げたり、あるいは正しい教えを伝えるために犠牲になる命は、その功徳によって本人は最高の悟りに達することができるのだ」

迦葉

「わかりました。では次の『心施』についてお願いいたします」

世尊

「慈悲の心ということだ。慈悲とは『与楽』と『抜苦』を合わせたものだ。 他の人の心に喜びを与え、同じく苦しみを抜き去る行いのことだ」

迦葉

「第三の『眼施』と『和顔施』というのは、やさしい眼つきとおだやかな笑顔ということでしょうか」

世尊

「その通りだ。人というものは、つい自分の感情を外に出してしまう存在だからいつもやさしい眼つきとおだやかな笑顔をたやさないことだ」

迦葉

「『言施』というのは言葉による施しということで、思いやりのこもった暖かい言葉をかけてあげるということでしょうか」

世尊

「その通りだ。日常生活のなかで、何気なく使っている言葉が、なによりの施しになることに気付かねばならない。 どんな些細な言葉でも言葉には心情が籠もることを忘れてはならない」

迦葉

「第六の『牀座施』とはどんな施しなのでしょうか」

世尊

「一言で言えば『席を譲ること』だ。自分よりもか弱い子供や老人、または目上の先輩など尊敬すべき人に対しての思いやりの行為をいうのだ」

迦葉

「さいごの『房舎施』というのはどんな施しでしょうか」

世尊

「わが家に泊めてあげることを『房舎施』というのだ。事情があって宿をとれない人に対しての宿泊を提供する布施行のことをいうのだ」

迦葉

「このように財産やお金がなくとも出来る施しこそ布施の基本なのですね。『無財の七施』をいつも心して一層の精進をしてまいります。 ありがとうございました」

布施とは、物やお金だけではないということです。 人のためになることであるならば、自分の体の全てで布施行ができるというのが無財施の意味なのです。 人は眼、耳、鼻、口、手、足など、どれを使っても人に対して慈悲行為、すなわち『与楽』と『抜苦』の一助の施しができるのです。

仏陀の教え、仏教とは突き詰めればこの慈悲行為の勧奨に尽きるのです。 その教師が阿弥陀仏であり、観音菩薩であり、地蔵菩薩、そして無限に存在する菩薩さま方なのです。

布施行が即ち菩薩行に通じ、菩薩行を行う人が菩薩さまとなり、菩薩さまの住む世界が安心極楽の世界となるのです。 そんな浄土の世界とはあまりにもかけ離れているのが人間社会の現実です。 自己中心の我利我利亡者の渦巻いている餓鬼、畜生、修羅の世界に他なりません。 拙僧自らも「無財施」の精神を少しでも心に留めていけたらと願っているところであります。

合掌

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