千葉県南房総館山市にある曹洞宗のお寺です。水子供養・永代供養・ご祈祷などのお申し込みは当山まで。坐禅体験もあり。

曹洞宗 正木山西光寺

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法話

法話

十三仏(釈迦牟尼仏)--その8 入滅にのぞみ--平成23年11月

永遠の命とは

死んだらどうなってしまうのだろうか。
地獄や極楽は本当にあるのだろうか。自分は一体何処へ行くのだろうか。
誰もが抱いている大疑問です。
人はその答えが解らないから苦しいのです。

人類で初めてその答えを見付けた人、それが釈尊です。
釈尊は、その答えを"発見"し、大安心(だいあんじん)を得られました。
その一切の苦悩がない世界を、すなわち"極楽"といいます。

"発見"した世界ですから、極楽はまさに"実在"するのです。
釈尊は、この「一切皆苦」の現世で苦しんでいる一切衆生に、なんとか「安心」を得させんとされて、その「方法」を説かれました。これが即ち「仏法」です。

「仏法」は一切の苦悩から解放されて安心を得るための正に人生のテキストとなのです。
しかしですよ。"テキスト"である以上、単なる方法論であって、そこから安心そのものが直接得られるわけではありません。
つまり、テキストに書かれた「安心」は、いわば"絵に描いた餅"であって、"本物の安心餅"ではないのです。
では、本物の安心餅を味わうにはどうすればよいのでしょうか。

それには、仏法を"実践"することです。それを「仏道」と言います。
仏道の実践なくして本物の"安心餅"を食べることはできないのです。
それが「一切皆苦」から解放される唯一の道なのですから。

もしあなたが、仏教に興味を持ち、多くの仏教書を当たり勉強していたとしたら、実に尊く素晴らしいことでしょう。
しかし、どんなに知識を詰め込んでも、それが画餅の域を出ないものだとしたら、実に勿体ないことです。

さて、釈尊は、ご自身の死を目前に、泰然自若として法を説かれました。
そこには一点の迷いも、不安も、嘆きもありません。
それは正に解脱を得、「生」と「死」の一如の世界に安住されていたからに外ありません。

生死一如の世界にもはや大安心以外のものはありません。
そこがすなわち、彼岸、涅槃、浄土、極楽の世界であり、"永遠の命"を得た久遠仏の世界なのです。
釈尊は横臥され、今まさに黄金色に輝き、尊厳に満ちた如来の姿で久遠仏として入滅されんとしています。
前回に引き続き大般涅槃経からその様子をみてまいりましょう。

阿難の嘆き

釈尊がチュンダの供養受けられたのが正午前でした。
出家者の食事は、正午以後には許されないからです。
チュンダの家を出発された釈尊は、病気に苦しみながら、クシナガラに通じる大道を進んでいました。

ようやくクシナガラにたどりついた釈尊は、マッラ族の住むウパバッタナ村の林に入りました。
釈尊は阿難に言われました。「さあ、アーナンダよ、汝は私のために、沙羅双樹の間に、頭を北に向けて床を用意しなさい。私は疲れた。横臥しよう」

「かしこまりました。尊い師よ」と阿難は答えて、二本の沙羅双樹の間に床を敷きました。
そして、釈尊は右足の上に左足を重ね、獅子臥をなし、思惟を正しく保ち、しっかりした自覚をもって、休まれました。

このように、釈尊が沙羅双樹の間に横たわられますと、その時、ときならざるに沙羅双樹の花が咲きはじめ、すべての花は満開になりました。
花は釈尊を供養するために咲き、そして花びらが釈尊に降りそそぎ、あたり一面を花びらが散り敷きました。

林が真っ白い花で一杯になったので、これを「鶴林」とか「つるの林」などと言われます。
「涅槃経」には「沙羅の林が白く変じて、白鶴のようであった」と述べられていて、それに由来しているそうです。

奇瑞はそれだけではありません。
涅槃経によりますと、天上から花や香が釈尊の体の上に降り注ぎ、さらに空中に音楽が奏でられ、天人達が釈尊を供養したというのです。

しかし、釈尊は阿難に告げられました。
「このように花や香、音楽などによる供養は真の供養ではない。
真の供養とは、法に従って正しく実践することであり、如来を敬い、尊び、最上の供養を施すことである。アーナンダよ、このように学ぶべきである」と説かれました。

また、阿難は釈尊の葬式について質問します。
「世尊よ、私たちは世尊の舎利(遺骸)を、どのように処理したらよいでしょうか」

「アーナンダよ、汝らは如来の舎利の供養にかかずらうな。
いざ、汝らは、真実の目的のために精進せよ。正しい目的のために、放逸せず、熱心に精進せよ。
如来に信心をもつ王族の賢者たちや、バラモンの賢者たち、居士の賢者たちが如来の供養をするであろう」

釈尊はこのように答えられて、出家の弟子たちに、自分の葬儀に関係したり、遺骨の礼拝や供養をすることを禁止されたのです。
そして、信心ある在家の賢者たちが自分の葬儀に関わるであろうと申されたのです。
ゆえに、釈尊が亡くなられて葬儀をしたのは、マッカラー人達でした。
そして、火葬のあと、舎利を集めて、塔を建てたのも在家信者たちでありました。

釈尊が最後の説法をされている間に、阿難は釈尊が涅槃に入られるのを悲しんで、すすり泣きをしていました。
「世尊が涅槃に入られるのは、何と早いことであろう。
わたしはまだ修行が完成していない。まだ修行中であるのに、それなのに、わたしを捨てて般涅槃されてしまう」と言って嘆き悲しんでいました。

そこで釈尊は阿難に言われました。
「やめよ、アーナンダよ、悲しんではならない。嘆くのをやめよ。
かつて私は汝に言わなかったか、『すべて愛するもの、好めるものといえども、生別し、死別し、死後には境界を異にする』と。

アーナンダよ、すべて生じたもの、存在するもの、つくられたもの、破壊すべき性質のものを、それを破壊しないようにということが、どうしてあり得ようか。 そのような道理はあり得ない。

アーナンダよ、汝は長い間、慈悲のある、利益のある、純一な、はかり知れない言葉と行為と心とによって、私に仕えてくれた。
アーナンダよ、汝は功徳をなした。努め励め。遠からず煩悩を尽くして、悟りを得るであろう」と言って阿難を慰めました。

そしてさらに修行者たちに言われました。
「アーナンダは賢者である。四つの不思議にして、珍しい能力がある。その四つと言うのは何であるか。
もし、修行僧たちが、アーナンダに近づくならば、会っただけで、彼等は喜びを感ずる。
もし、アーナンダが説法すれば、それを聞いた者は喜びを感ずる。
もし、修行僧たちが満足すれば、そのときアーナンダは沈黙する。
もし、修行尼の集団、在家者の集団、在家信女の集団がアーナンダに近づくときもまったく同じである」

このとき阿難は釈尊に申し上げました。
「世尊よ、世尊はクシナガラのような小さな町で般涅槃にお入りになるべきではありません。他の大きな都城、たとえばチャンバー、王舎城、舎衛城、サーケータなど、そこには多くの裕福な王族やバラモン、居士たちの大きな会堂があり、世尊にふさわしい舎利供養が施されるでしょう」

これに対して釈尊は、「アーナンダよ、そのように言ってはならない」と阿難の言葉を制止されました。
そして、阿難に、ご自身が般涅槃されることをクシナガラの住民に知らしめるよう命じられました。

これは、「釈尊が生きておられるうちに、もう一度お目にかかった」と、人々が後悔しないように配慮されたからです。
「アーナンダよ、行きなさい。クシナガラのマッラー族に告げなさい。今夜の最後に如来の般涅槃があるでしょう、と」

合掌

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