千葉県南房総館山市にある曹洞宗のお寺です。水子供養・永代供養・ご祈祷などのお申し込みは当山まで。坐禅体験もあり。

曹洞宗 正木山西光寺

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法話

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十三仏(観音菩薩)--いじめは心の病--平成24年7月

十三仏の八番目は観世音菩薩です。
観音さまについては仏教講座「観音さま」のページをみていただければよろしいかと思いますが、観音菩薩にも"兄弟分"にあたるお方がいますので、その幾つかをご紹介したいと思います。

観音菩薩は、梵語(サンスクリット)では、「アヴァロキティシュバラ」と言います。
アヴァ(遍く)ロキティ(観る)シュバラ(自在者)という語の合成語との説が有力です。

玄奘三蔵による訳が「観自在菩薩」で、鳩摩羅什の訳が「観世音菩薩」となっていますが、その意味するところは「遍く世間を仏の智慧をもって自在に導く菩薩」ということです。

阿弥陀三尊の脇侍として勢至菩薩と共に安置されているのが基本形でしたが、観音経の信仰もあってか今日では観音菩薩単独で祀られることの方が多くなっています。
地蔵菩薩と並んで抜苦与楽の現世利益の信仰からその人気は絶大です。

ところで観音さまは男性でしょうか、女性でしょうか。
「慈母観音」という言葉からは女性のように思えますし、「観音大士」という言葉からは男性のようにも思えます。
しかし、顔つきや体型から女性的な印象の方が強い気がします。

観音経の中には、「應以長者。居士。宰官。婆羅門。婦女身得度者。即現婦女身而為説法」とありますように、観音さまは三十三身に身を現じて説法されると説かれています。
つまり観音さまは女性でも男性でもないのです。
まさに変幻自在の存在であり、「念彼観音力」と乞われればどんな身にもなって、いつでもどんな所にでも救済に赴くとされるのです。

聖観音(しょうかんのん)
観音菩薩の基本形です。宝冠に「化仏」と呼ばれる阿弥陀如来像を戴いているのが特徴です。
持物としては左手に蓮の花を持っていることが多いようです。
水瓶(すいびょう)という浄瓶をもっているのが滴水(てきすい)聖観音で、無限の功徳水を注いでくださるという。

私事ですが、ごく最近偶然ある石材店に展示されているこの観音像に出会いました。
そのお顔立ちとお姿にインパクトを受け一目惚れしてしまいました。
身の丈およそ2メートルの滴水聖観音さまです。
さっそく購入の交渉を済ませました。近い内に当山にやって参ります。
その時には写真でご紹介したいと思います。

十一面観音
文字通り、顔が十一面あるのがなによりの特徴です。
造形的には、聖観音の頭の周りに冠状に9面(又は10面)の小さめの面相を付けているのが一般的です。
正面の3面が菩薩面で、衆生に対する慈悲の心を表します。左の3面が忿怒面で、悪人の衆生を叱り、戒める相をしています。

右の3面が狗牙出面といい、白い牙をむき出した顔です。
良いことをしている衆生を励ましている相とされます。
後ろの1面は大笑の相で、浅ましい衆生をあざ笑うことで自らの醜さを悟らせる相とされます。頭頂部が如来面で仏道を説く相とされます。

千手観音
正式には千手千眼観世音菩薩といいます。
一人でも多くの衆生を救うために、千の手を持ち、その千の手に千の眼を付けたとされる観音さまです。
強力な救いの力を具現化しようとしたもので、その迫力はまさに圧巻で頼もしいかぎりの菩薩として信仰されました。

「千手」といっても千の手を実際に付けるのは造形上難しく一般的には40本の手で千手を象徴するようになったそうです。
でも「本当に千手あります」という作例があるそうで、奈良・唐招提寺の立像や大阪・葛井寺などの坐像などがそうです。

馬頭観音
菩薩と呼ばれながら、まるで明王像のように忿怒相をしているのが馬頭観音です。
インドの伝説の駿馬だとか、ビシュヌ神が馬に変化した姿だとか、さまざまな説がありますが、馬が神格化された菩薩とされます。

馬が草を食い尽くすように、煩悩を食い尽くす功徳として、馬をはじめ畜生類の護り仏とされます。
また交通の安全を守ってくれる仏として辻などに祀られたり、最近では競馬場に祀られたりもしているようです。
その場合は、馬の安全なのか、馬券の御利益なのか、或いは煩悩の抑制なのか、イヤそのすべてなのかも知れませんね。

如意輪観音
如意は如意宝珠、輪は法輪の意味で、如意宝珠と法輪を持つ菩薩です。
如意とは意のままになるという意味です。
富や徳など意のままもたらせるという宝珠で、「擬宝珠」と言います。
神社や欄干にある「ぎぼし」はこの「擬宝珠」からきたものです。

宝輪は、車輪状の形をした武器が法具に例えられ、その"武器"の力によって煩悩や邪念が祓われるとされたことからその象徴として「宝輪」が生まれたのです。
つまり、如意輪観音とは宝珠と法輪によって、煩悩を祓い、衆生に幸せをもたらす菩薩なのです。

以上のほかに准胝観音を加えたものを「六観音」と称します。
そのほかにも「〜観音」を言われるものは幾つもあるようですが、そもそも観音さまとは、衆生の悩みを聞き分けたり、願い事を叶えたりしてくれる「抜苦与楽」の仏さまなのです。

さて、今いじめ問題で日本中が大騒ぎになっています。
この問題は今に始まったことではなく、数年ごとに繰り返されている日本の"社会現象"と言っても良いでしょう。
丁度6年前にも福岡で、いわゆる「葬式ごっこいじめ」で中学2年生男子が自殺し、学校と教育委員会の隠蔽が問題となり、メディアがこぞって「報復」を囃し立て大変な"社会現象"になりました。

当山ホームページでもその問題を取り上げ、いじめや虐待の原因は宗教教育の退廃によるものだとの見解を述べましたが、またまた同じような問題が繰り返されています。人間とはなんと愚かなものかとつくづく思います。

評論家などは、教員の資質や教育委員会制度を問題にしたり、監視制度の導入や厳罰化を主張しています。
メディアは、有識者によるいじめ対策論や有名人によるいじめ体験談を紹介したりして方策論を競っていますが、そのどれもこれも人ごとによる単なる対症療法論に過ぎません。
この問題は病気と同じです。病根を治さない限り病気は治らないのです。

前回の「薬師如来」の中でも申しましたように、「欲深く、不真面目で、疑い深くて、短気で、思い遣りもなく、不平不満の愚痴ばかり・・・これらはみな病気」なのです。
虐待もいじめもみな心が病んでいる「病気」なのです。

しかも、その"ウイルス"が日本中に蔓延しているのです。
特にネット上では、加害者少年とその家族の写真と実名、親の職業や住所、その家の写真までもが暴かれている始末です。
まさに公開処刑による報復の嵐と言っても過言ではないでしょう。

いじめウイルスが日本中を集団パニックに陥れているのです。
熱病と同じで、このパニック症候群は「報復エネルギー」が完全に発散されるまで収まりません。
そのエネルギー自体「いじめウイルス」の正体なのです。
加害者達は今、皮肉にも自ら放ったウイルスの反撃によって地獄の苦しみを味わっているとも言えるのです。
因果応報とはいえ実に哀れなことです。

今、「地獄絵図」の絵本がかなり売れているそうです。
子供もかなり興味を示しているとか。
しかし因果論を脅かしで教えるのであってはいけません。
「おどかし」は「いじめ」と同じ範疇のものだからです。これは大事なことです。

「地獄絵図」の意図するところは、決して脅かしではなく、「自未得度先度他の心」の涵養なのです。
つまり人にとって「おもいやりの心」にこそ正しい「因果応報」の理(ことわり)があることを教えているのです。

オトナがしっかりとした手本となってこそ、子供は「大人の鑑」として光を放すのです。
今こそ「地獄絵図」をよ〜く見て己の生き方を反省すべきは他ならぬオトナたちなのですから。

「いじめウイルス」に対処するには報復では決して解決しません。
報復は復讐という欲望心を満たすかもしれませんが、それは単にいじめウイルスを増殖させ蔓延させるに過ぎません。
「報復」も「恨み」もみな同じ「いじめウイルス」によるものだからです。
今加害者に集中攻撃をしている人達も、己自身がそのウイルスに冒されていることを知るべきでしょう。

その点からも自分達の保身しか考えなかった学校や教育委員会もまったく同じ病気に冒されていたのです。
いじめ問題はすべてオトナの問題でありオトナの責任なのです。
「おもいやり」は理屈では誰にでも分かっていることですが、それができないのは理屈を超えたところのものだからです。
その領域こそ「宗教」なのです。
真の心の涵養は宗教に頼るしかないのです。

現代医学では絶対に治せない病気がこの「いじめウイルス病」という難病なのです。
では、一体どうしたらよいのでしょうか。
心の病とはいわゆる「貧・瞋・痴」の三毒に心が冒されることです。
その防護と対応に当たるのがまさに宗教なのです。

仏教ではそのために如来や応供の仏さま方が存在されているのです。
その代表格が薬師如来であり地蔵菩薩であり、そして観音菩薩なのです。
悩める衆生はなぜもっとこれらの「抜苦与楽」の仏さまを活用しないのでしょうか。

但し、抜苦与楽とは言え、求めなければ応えてくださらないのが如来や観音さま方なのです。
観音さまは、誠心に「南無観世音菩薩」と一心唱名する人にこそ飛んで来てくださるのです。
その「貧・瞋・痴」の三毒を諫め「四苦八苦」から解放してくれる妙薬がまさに「唱名」であり「真言」なのです。

合掌

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