千葉県南房総館山市にある曹洞宗のお寺です。水子供養・永代供養・ご祈祷などのお申し込みは当山まで。坐禅体験もあり。

曹洞宗 正木山西光寺

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法話

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十三仏(虚空蔵菩薩)--智慧に安楽あり--平成24年12月

今回は13仏最後の仏さまで虚空蔵菩薩のお話です。

33回忌の導師で、真言は、「オン バザラ アラタンノウ オンタラク ソワカ」です。この真言を唱えることで大宇宙の智慧にあやかれるのです。

虚空蔵菩薩は地蔵菩薩の対的存在と考えられる仏さまです。
地蔵菩薩が「大地」の「蔵」を象徴しているのに対して、虚空蔵菩薩は「虚空」の「蔵」を象徴しているからです。

大地の「蔵」がすべての「命」の源であり、慈悲心の象徴であるのに対して、虚空の「蔵」は大宇宙の理(ことわり)を象徴しています。
虚空に蔵(かく)されているもの、それがすなわち「智慧」なのです。

虚空蔵菩薩とは、大日如来の働きのうち、「虚空の智慧」の徳性をもって派遣された、まさに「智慧」の仏さまといえるでしょう。
その智慧によってすべての人々に安楽と福徳の御利益がもたらされるといわれます。

「智慧」については、これまでに幾度となくとりあげてきました。
「知恵と智慧の違いについて」、「智慧のない知恵は煩悩にすぎないこと」「智慧こそ悟りの本質」等々・・・
その「智慧」についてもう少し学んでみたいと思います。

智慧を説いた理(ことわり)が、「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の三法印です。
慈悲を説いた情(なさけ)が、「一切皆苦」の一法印です。(一切皆苦含めて四法印とも言います)

宇宙には絶対の「理」に対して衆生の命が存在しています。
命とは、それ自体が「一切皆苦」ですから、そこには「情」が存在するのです。
その情を司るのが「慈悲」です。

ですから慈悲をもって「抜苦与楽」を説いているのが地蔵菩薩であり、観世音菩薩なのです。
ですから、智慧の虚空蔵菩薩に対して、慈悲の地蔵菩薩がいらっしゃるのです。

「絶対の智慧」に「絶対の慈悲」が重なり合っているという、このように仏教は智慧と慈悲が表裏一体なのです。
ですから智慧を会得することがすなわち、同時に慈悲をいただくことになるのです。

その慈悲の世界を謳ったものが極楽浄土です。
極楽浄土は何も来世に限った世界ではなく、慈悲を会得することで現世に居ながら極楽浄土が体験できるのです。
これこそが果報であり、現世利益なのです。

智慧がないことを迷いと言いますが、迷っているからこそ、この世が「一切皆苦」なのです。
つまり、智慧により煩悩を打ち破り慈悲を得ることで、その「苦」が安楽に替わるのです。

確かに、人は人間として生まれた以上、「四苦八苦」「一切皆苦」という宿命から絶対に逃れることはできません。
しかし、実はその「苦」を「楽」に変えることができる妙術があったのです。
その妙術こそ「安楽の法門」といわれる「智慧」なのです。

人類で初めてそれを証明された人、そのお方こそ我等が世尊、釈迦牟尼仏です。
釈尊は大宇宙の智慧を悟られ、「一切皆苦」から解放されたのです。
これを解脱と言い、釈尊は智慧を会得することで誰でも「安楽」の法門に入れることを証明されたのです。

智慧と慈悲は両輪です。智慧がなければ慈悲がありません。
慈悲がなければ安楽がありません。安楽がなければ人は救われません。
つまり、人は智慧があってこそ救われるのです。

さて、人類は奇跡的進化をとげその「知恵」の恩恵によって様々な科学文明の利器を生み出し、快適にして最高の生活を手にしました。
現代人はまさに幸福の絶頂に達したかに思われます。が、果たしてそうでしょうか。

どんなに権力を手に入れても、どんなに知恵を身につけ裕福になっても、人は一向に「四苦八苦」から解放されていないのです。
つまり人は、「知恵」から富裕な生活を手に入れることはできても、「智慧」無しでほんとうの幸福を手にすることは出来なかったのです。

幸福とは、敢えて一言で言えば、「安心」「安楽」です。
どんなに貧しくとも、どんなに非才浅学でも、安心にこそ安楽があるのです。
その「安楽の法門」に入る術、それが智慧なのです。
仏教の目的を敢えて一言で言えば、「安楽」なのですから。

例えばその安楽の法門の一つに「知足」があります。
ここでその「知足」についてちょっと考えてみましょう。
釈尊は入滅に臨み「知足」について諄々と口宣されました。

「汝等比丘、若(も)し諸々の苦悩を脱せんと欲せば、当(まさ)に知足を観ずべし。
知足の法は即ち是れ富楽安穏の処なり。
知足の人は地上に臥すと雖(いえど)も、猶(な)お安楽なりとす。
不知足の者は、天堂に処すと雖も亦た意(こころ)に称(かな)わず。」(遺教経)

人類は知恵により原子力を発明しました。
まさに夢のエネルギーとして人々はその恩恵に与り富楽を享受してきました。
しかし、原発事故が起こり、日本人はエネルギー問題の対応に迫られました。

今回の衆議院選挙の結果でも分かるように、その選択は「経済最優先」でした。
原発が無ければ経済も生活も立ち行かなくなるとして、日本人の大多数が選らんだのは、原発はイヤだけど仕方ないという、あやふやな結論でした。

これは、日本人の心が、まだまだ富楽をあきらめきれずに、「もっと、もっと(ほしい)」という「不知足心」の表れでしょうか。
先のことは考えず今が大事、今さえ良ければという、刹那主義的欲望心にとらわれているとしたら、日本の未来にほんとうの幸せは望めないかもしれません。

原子力は人類にとってまだまだ未完成の代物なのです。
膨大な原発廃棄物の最終処分の方法も場所も分からないまま、その量は膨らむばかりです。
将来にこれ以上の負の遺産を残さないためにも、「知足心」に基づいた生活を考え直さなければ、未来に幸福は望めません。

持つ程に増すのが欲望心と言われます。
だから、必要以上の物欲にとらわれなければ欲望心は減ってくるものです。
その基本が「知足心」です。
知足心によって満たされた心にこそ、安楽はやってくるのです。

日常の生活エネルギーと、食物エネルギーを減らすことで、さらに、心身ともに健康になれるというまさにおまけつきです。

「安楽の伝授というて外になし、ただ足ることを知るまでのこと」(一休宗純禅師)

合掌

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