千葉県南房総館山市にある曹洞宗のお寺です。水子供養・永代供養・ご祈祷などのお申し込みは当山まで。坐禅体験もあり。

曹洞宗 正木山西光寺

曹洞宗 正木山西光寺

  • ホーム
  • 西光寺のご紹介
  • 永代供養
  • 水子供養
  • ご祈祷
  • お問合わせ
法話

法話

法話は毎月1回更新します。
今まで掲載された法話をお読みになりたい方は左のメニューをクリックして下さい。

四諦--苦諦その4 病苦その2 病気にならない生き方 その18
アレルギー その2 平成27年1月

新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
本ホームページご覧の善男善女人各位の一層のご多幸を祈念いたします。
言わずもがな、健康無くしてしあわせはありません。
先ずは健康に対して関心と知識を持つことが大事です。更に一緒に学んでみましょう。

前回、アレルギー疾患とはキレイ社会が生み出したまさに副産物ともいえるものだというお話をさせていただきました。
環境が清潔すぎることで起こるという、この「衛生仮説」は既に2004年ドイツを中心とする医科学チームの研究により裏付けられていたそうです。

藤田紘一郎先生は、インドネシアに感染症の調査に行かれた時にさまざまな体験を通してその「衛生仮説」を実感されたそうです。
以下その体験談をご紹介させていただきます。

「インドネシアはお世辞にも清潔な国ではなく、賄賂が当たり前でドロボウも多かったのですが、そこに住む人々はおおらかで人間味があり、自然と融和していてとても人間らしい生き方をしていました。

インドネシアでは、子どもたちはウンコの流れる川で平気で遊んでいました。 私は『こんなきたない川で遊んでいると病気になるよ』と何度も注意しましたが、子どもたちは私の意見などまったく聞こうとせず、平気で毎日、川の中で遊び続けていました。

しかし、その子どもたちを観察していると日本の子どもたちよりずっと元気であることに気が付きました。
アトピーやぜん息などのアレルギー疾患にだれも罹っていないことがわかったのです。

ウンコが浮いている川の水で洗濯している女の人たちも、とても元気でいきいきしていました。
うつ病など心の病気に罹っている人もいません。
子どもたちの間にはいじめはありませんでしたし、理由もなく見知らぬ人を傷つけるなどといった、日本で起こっているような若者の事件は見られませんでした。

インドネシア人に比べて日本人は、便利で快適な文明社会で管理されながら生きていることに気が付きました。
キレイな環境が良いという考えが行き過ぎて、身の回りにいる私たちを守っている常在菌までを排除するようになったのです。

それが結果的にアトピーなどのアレルギー性疾患やうつ病などの心の病気を生むようになったのだと私は思っています。
これらの病気は自然に触れて生きている人には起こらず、『家畜化』された人たちにのみ発生することが、インドネシアでの調査で明らかにされたのです。

私は、身体と心の病気の原因が、日本の大学で習ってきたこととまったく異なるように思えてきました。
私は、『キレイとは何だろうか、きたないとは何だろうか』と考え込んでしまったのです。

なぜ、きたないとされる川の水に接して生活している人々の心身がとてもキレイなのだろうか、私は考え込んでしまったのです。
そして、頭の中で考えていた『キレイがよい』が実は間違っていたことを実感したのです。

自然と融和して、野生の生き物のような生活をしているインドネシアの人たちと一緒に生活しているうちに、私自身が少しずつ変化していくのがわかりました。
日本で身につけてきた『家畜化』の度合いが次第に薄れていくことを感じていました。

私はインドネシアで何度もドロボウに遭いました。そのたびに私の持ち物はお金と引き替えに私の手元に戻ってきました。
しかし、そのお金はドロボウたちが独り占めしているのではなく、地域住民が分けていたのです。

インドネシアではお金を持っている人が、持っていない人に分配するのが当たり前のことだからです。
私は、インドネシアでのこうした体験を通じて、インドネシアでは『喜捨』の精神が行き渡っていることを感じたのです。
私は何度もドロボウ事件に巻き込まれましたが、『喜捨』の意味に気づいてから腹が立たなくなりました。

そんな私に決定的な出来事がありました。
孤島で木材を伐採している日本人を健康調査するためブル島という島を訪れたときのことです。
私がそこを訪れた直後、台風の影響で日本からの船が1ケ月以上来られなくなったのです。

私たちの食糧は底をつき、海に魚釣りに行ったり、山でタロイモを掘ったりして食材を集めました。
こうした状況では、医者や木材伐採者という役職や立場などまったく問題ではありません。
全員が生きるための食料集めに必死になっていたのです。

私たちはもはや『家畜』ではなく、大自然の中で食べ物を必死に探す『野生動物』になっていたのです。
頭だけで考える小賢しいことなど通用しない、『自分をさらけ出し、腹で考え、裸のつきあいをする』しかなかったのです。

それまでの私は、他人の目ばかり気にしていました。
教授が研究室に残っていると、用もないのに私も研究室にいました。
他人の目を気にする一方で、自分のやりたいことはどんなことでもするという、とてもわがままな人間でした。

しかし、私はインドネシアの生活で『あるがまま生きる』ことを学んだのです。
インドネシアでの生活を続けるにつれ、私は家畜のように飼いならされた人間ではなくなってきました。

自分自身で問題を解決すること、自分自身のあるがままを感じ、そのあるがままを率直に受け入れることが必要であることを実感したのです。
そして、『わがまま』とは他人の『あるがまま』を受け入れようとしないことだと気づいたのでした。

インドネシアの若者の目はみな輝いており、好奇心に満ちていました。
彼らと接しているうちに、私は日本のウサギ小屋での偏った食べ物の生活から脱出しなければならないと思ったのです。
日本での家畜のような生活によって失われてしまった感性を取り戻さなければ、と思ったのでした。」

藤田先生は、さらに日本の男性がいわゆる「草食系」になった理由の一つとして、「キレイ社会」がもたらした、行き過ぎた清潔志向が大きく関わっているというのです。
目に見えない細菌に怯え、排除しようとする超清潔社会に住んでいると、セックスのような獣っぽい行為が不潔で気持ち悪くなってしまうというのです。

その結果、衛生管理の行き届いた狭い獣舎で、目の前に出された餌を食べるだけの「家畜」のような存在になり、生物としての野生性を忘れてしまったというのです。

貧困家庭の多少汚い環境で育った男性は、野生的でセックスへの意欲が高く、反対に、裕福で教育環境の整った家庭で育った男性は、大脳皮質ばかりに刺激が行き、性にガツガツできなくなってしまうというのです。

先生の言われる「あるがまま生きる」とは、「自然の摂理に則った生き方をする」ということではないでしょうか。
そういえば、禅の世界でも「あるがまま」が悟りの姿でした。

合掌

Copyright © 2005-2016 曹洞宗 正木山西光寺. All Rights Reserved