千葉県南房総館山市にある曹洞宗のお寺です。水子供養・永代供養・ご祈祷などのお申し込みは当山まで。坐禅体験もあり。

曹洞宗 正木山西光寺

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法話

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お盆のぶっちゃけ 平成27年8月

言うまでもなく坊さんにとってお盆は一年を通し最も多忙な時期です。
なかでも酷暑の中お檀家さんを回る棚経はとても過酷で、この三日間はまさに"ホトケ極楽ボウズ地獄"といったところです。

とは言え檀家さんが待ってくれているのだという想いがモティベーションになっているから頑張れるのです。
実際棚経をうっかりミスで抜かしたりすると、問い合わせや苦情がきたりします。
当てにされていることは実にありがたいことです。

今年も特に猛暑の中汗だくになって回りました。
軒数が多いのでスケジュールは分刻みです。
まさに時間との戦いですからゆっくりお茶を頂いている余裕はありません。
ですから"ぶっちゃけ"お茶を出されない方が助かるのです。

そんな"ぶっちゃけ"が今年のお盆前のテレビ「ぶっちゃけ寺」で放映されたせいか、今年は持ち帰り用のペットボトルを頂くことが多かったようです。
仏壇前の椅子もありがたいですね。
特に長時間の正座で疲れた足がほんとうに休まります。
ぶっちゃけ、その分お経が丁寧になること請け合いです。

扇風機もありがたいのですが、風で灯明が消えてしまったりすると、ちょっとイラッとしますので、あらかじめ無難な風向にセッティングしておいてくれると助かります。
坊さんもちょっとした心遣いが嬉しいものです。

あと、特に困るのが、吠える犬のいるお宅です。
静かな犬なら全く問題はありませんが、中には玄関を入るなり吠えながら突進してくる犬がいたりします。
家主が隔離しても吠え続け、読経にとってコラボどころか、妨害でしかありません。
正直モティベーションは最悪です。

弟子から犬が怖くて入れないお宅があるというので今年は拙僧自身が出向きました。
確かに大型犬が移動式に繋がれていて、当方に気付くなり狂ったように猛進してきたのです。その状況に家人が気付くのを期待したのですが、家人は現れません。
ヤッテラレナイと思い帰りました。

拙僧自身むかし犬に咬まれたことがありますので少しトラウマもあります。
例年伺う時間帯は大体決まっているのですから、"歓迎する気があれば"それなりの気遣いがあって然るべきだと思うのですが・・・

拙僧宅も雑種の中型犬を飼っていましたので、飼い主としてのマナーには配慮したつもりです。
そのカレも天寿を全うしてこのお盆を前に死にました。
15年間も番犬として尽くしてくれたことに只感謝です。

坊さんといえどもやはり人の子、"ぶっちゃけ"、心遣いや心地よさによってお経も丁寧になったり長めになったりするものです。
子や孫共々一家揃って畏まってお経を聞いてくださるお宅などでは、つい説法をしたり話し込んだりしてしまいます。

それにしても、毎年お盆のお宅訪問で感じることは、急激な高齢化の実態です。
昔は、どこでも子どもがいてその親御さんも若く元気でした。
しかしあれから40年、子供たちは居なくなりその後の親御さんたちも今や"立派"な高齢者です。

昔は子供の里帰りに一緒だった孫たちも今や成人して里帰りには付き合えなくなってしまったのでしょうか、お盆に見かける顔も少なくなりました。
老夫婦や独居老人が、猛暑の中クーラーもなしで過ごしているお宅がありますが、熱中症に十分気を付けるようにと言いながらもやるせない気持ちになります。

今や独居は老人だけに限りません。独居の独身者も増えています。
統計によると、30代後半男性の3割強(35.6%)、女性では2割強(23.1%)が未婚だとか。男性の生涯未婚率は30年前の10倍にもなるそうです。
そんな少子・未婚・高齢化社会がものすごい勢いで進んでいます。

核家族化が始まって40年、自律が難しくなった高齢者が若い人達と一緒に暮らせる環境はありません。
やむなく"疎開"せざるを得なくなったのが介護施設です。
拙僧自身、実母を施設にお願いした経験者ですが、その仕方なさと有難さはよく理解できます。

戦後70年、日本の社会も大きく変わりました。
その中で最も顕著になったのが少子・未婚・高齢化問題でしょう。
特にバブル崩壊以降、日本の経済は疲弊し人々のモティベーションはすっかり委縮してしまいました。

そんな委縮感が日本を覆い人々の考え方や価値観は大きく変わりました。
その結果現れてきたのが、直葬や家族葬といったものです。
文字通り家族だけで葬儀を行うということですが、これには一考を要します。

言うまでもなく、葬儀とは、故人の冥福を祈り、遺族縁者が哀悼の誠を捧げ、感謝と惜別の気持ちを全うすることです。
人は葬送儀礼を通してこそ故人の逝去を受け入れることができるのです。
葬儀はその「気持ちの意味付け」となる実に大切なものです。

ですから、真っ当な人間にとって葬儀は必要不可欠なものです。
ただ、家族葬で懸念されるのが、社交儀礼と故人の意志です。
葬儀は告別式ともいいます。それは惜別の意味と同時に故人にとっての辞世の場でもあるからです。

人は誰でも、送りそしていつか送られる存在です。
送り送られる双方にとって謂わば最後の挨拶の場が告別式なのです。
故人が生前お世話になったのは肉親や家族だけとは限りません。
故人にお世話になった"他人"も大勢いるかもしれないのです。

ですから遺言があれば別として、喪主は告別の場を設けることが社会通念上からも望ましいのです。
たとえささやかなものだとしても規模の問題ではありません。
確かに喪主の都合もあるかもしれませんが、葬儀の主役はあくまでも故人であることを慮って欲しいのです。

住職をしていると様々な価値観の人に出会います。
父親を葬儀もしないまま納骨し、墓誌に俗名だけを刻んで済ませてしまった人。
墓地がお寺ではなかったので後からその事実を知りましたが、喪主の人格が理解できません。
喪主は某科の医師ですから経済的な理由ではなかったと思います。

母親の遺骨を二人だけでお寺に持参し、葬儀納骨を済ませ帰ってから一切の連絡が取れなくなった人。
当然その後の墓参もないので墓地は荒れ始めています。
故人は生前お寺には丁寧なお付き合いをして下さった方だけに、さぞ無念でしょう。

そんな、墓地がありながら連絡が途絶える人がいますが、葬儀後連絡のつかなくなる理由の一つに相続問題があるようです。
それは相続の話合いが拗(こじ)れ家族関係が破綻してしまい、結果墓地が見捨てられてしまうのです。

幼いころからあんなに仲の良かった兄弟・姉妹が、なぜこんなになってしまったのか。
それを誰よりも一番悲しんでいるのは他でもない故人となられた両親やご先祖様でしょう。
こんな親不孝はありません。

他方、お盆には兄弟、姉妹が集い高齢の親御さんをみんなで労う家族がいます。
そんなお宅だけに棚経に伺っても歓迎されているという心地良さを感じます。
そんな雰囲気や心遣いに励まされ、坊さんもやる気、元気のテンションアップが得られるのです。
"ぶっちゃけ"そんなお宅にこそ、心からのご多幸を願わずにはいられません。

お盆にはご先祖様がお帰りになります。
それは今ある私たちの幸せを見届け、エールを送るためでもあるのです。
そんなご先祖様に安心して頂けるような人生にしましょう。

合掌

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