千葉県南房総館山市にある曹洞宗のお寺です。水子供養・永代供養・ご祈祷などのお申し込みは当山まで。坐禅体験もあり。

曹洞宗 正木山西光寺

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法話

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熊本地震―お見舞い申し上げます −和の心こそ日本の誇り− 平成28年4月

九州熊本県を中心にまたまた大地震が発生しました。 今月14日に発生した地震は、震度7が2度もあり、27日の今日まで震度1以上が950回も続いているとか。これは一日に平均してなんと73回にもなるとんでもない事態です。

このような規模の地震が広域的に長く続発するのは過去に例がなく、これからの余震の収束の予測すら極めて困難だと気象庁は言っています。 発生して2週間経ちますが、今なお3万6千人もの人達が、言いしれない余震の不安とライフラインを断ち切られた不自由な生活を余儀なくされています。

あの東日本大震災からまだ5年しか経っていないというのになんたる試練でしょう。 地震国日本の宿命とはいえあまりにも不条理です。 日本を愛したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、「この国には永遠のものがほとんどない、絶え間ない災害による破壊で日本人の根気や忍耐力が培われた」と記しています。

フランスの元駐日大使ポール・クローデル氏は、日本人は絶えず身震いする巨人の上で暮らしているようなものだと言っています。 まさに巨人の体の上に置かれた日本列島、その一部の九州中央部が身震いしたのです。 人間をあざ笑う地下の巨人に、人はあまりにも小さく無力です。

しかし、考えてみれば日本は地震大国だけではなく、津波大国や台風大国でもあります。日本人は太古よりそんな揺れ動く大地や自然災害に鍛えられてきたのです。 だから日本人は日頃からお天道様やよろずの神々に感謝し無事を願ってきたのです。

そのようにして日本人は、「お蔭さま」「お互いさま」「ありがとう」と言って感謝し労い合い、隣人愛ともいえる「和の心」を養ってきたのです。 相手を思いやり、他人に迷惑がかかる行いは極力しないように努める。 だから日本人は災害時には途方もない自制力や忍耐力、協力心を発揮するのです。

その「和の心」の根底にあるのが日本独特の多神教文化なのです。 多神教文化は他の文明を巧みに取り入れそれらを適応させてきました。 だから日本人は他国の文化に寛容であるし、織田信長や豊臣秀吉などもキリスト教に興味を持ちました。

しかし、現代においてキリスト教をはじめとしたイスラム教などの宗教は日本社会では意外と広まっていません。何故かといえば、それはそれらが一神教だからです。 日本人の多神教文化が「和の心」を生んだといいました。「和の心」が相手を尊重し同じ目線に立ち受け入れてきたのです。

ところが織田信長によってキリスト教が容認されたころ、キリスト教の宣教師たちは日本の神社仏閣を破壊したのです。他宗教を認めず、両立や共存を許さないのが一神教ですから、それは当然のことだったのかもしれません。 結果、多神教文化の日本人にとって一神教とはシンクロできなかったのです。

日本に初めて仏教が入ってきたとき、天皇は神道を受け継ぎながら、仏教徒となり、寺院を建立しています。仏教は一神教ではないため天皇も人民も仏教には初めから寛容的だったのです。

神道と仏教は宗教としては明らかに別のものです。しかし、そのことに疑問を持ったり悩んだりする日本人はいません。 確かに歴史上廃仏毀釈などの時期もありましたが、それは政治的なものだったのです。

そんな多神教文化が理解できないのがすなわち一神教文化の人達なのです。 一神教の立場からすれば、他宗教に対して譲歩も寛容もありません。 他宗教を認めることは自分の神を裏切ることになるからです。 教祖や教義が違えば別派となり全ての相手と対峙することになります。

そもそも一神教の教義からすれば神と人との関係は全て「契約」で成り立っているのです。「契約」ですから、その神のみを信じることで自分は救われ、信仰を止めてしまえば見放されてしまう存在にあるのです。だから「契約」は絶対であり、その神に代わる指導者の声は絶対であるから、自爆テロさえ厭わないのです。

宗教や派が違うことで戦争や紛争、テロを起こすことなど日本人には到底理解できませんが、ユダヤ、キリスト教、イスラム教は元はといえば同じ神なのです。 それが、教義が違うことから相互が認め合わないのです。相互が常に敵意を抱いているのはそういった理由からです。

ついでに申せば、日本の宗教界にも一神教の原理と酷似している宗教が幾つかありますが、その代表格が創価学会でしょうか。 彼らは仏教を主唱してはいますが、自分たち以外の他宗教のみならず、他派さえ一切認めていません。

よく「学会」の噂を耳にすることがありますが、その内容は日本の宗教界の中ではかなり異質なものです。親戚や近所の葬儀、法事から町内会の祭礼や地鎮祭などにも参加しないという。お題目の「南無妙法蓮華経」以外仏教でもなければ宗教でもないという立場はまさに一神教そのものと重なります。

余談で恐縮な話ですが、拙僧が町内会長を務めた時には鳥居建設の責任者もやり祭礼の神事にも参列し神官からお祓いも受けました。 そのことで檀家や地元の皆さんから抗議を受けたり不信感を抱かれたりしたことは一切ありません。むしろ住職なのにと感謝されたくらいです。

個人的には正直多少違和感もありましたが、地元人として「お互いさま」だと割り切り、まさに「和」の精神で責任を果たした次第です。

拙僧が十代のころ読んだ古い記憶ですが、ユダヤ人でイザヤ・ベンダソンという作家が「日本人が神社、寺院、クリスチャン教会を差別もせず疑問も持たずに生活できるのは、その全体が即ち『日本教』という『宗教』を形成しているからだ」と書いてあったのを覚えています。今にしてもまったくその通りだと思います。

日本の大地の下にはいつ「身震いする」かもしれない巨人が眠っています。ですから山の神から海の神まで八百万の神々に日本人は無事を願い感謝してきたのです。 よく「日本人は無宗教で宗教や宗派など、どうでも構わないと思っている」などということを聞きますがそれはまったくの誤解です。

「どうでも構わない」のではなく、八百万の神々や諸仏諸菩薩に差別なく頼り切っているからこそ差別観念がないのです。つまり差別意識を必要としないほど「日本教」という宗教の中に溶け込んでいるのです。 それこそ「和を以て貴しとなす」という聖徳太子の「和」の精神が原点です。

相手の方から拒否されない限り、何であれ誰であれ受け入れるこの寛容な「和の心」。 今日本の「おもてなし文化」に魅了されて諸外国から実に大勢の観光客が来日しています。その「おもてなし」こそ「和」の精神文化なのです。 まさに日本人が世界に誇れる文化であり、益々大切にしていかなければなりません。

その「和」が「絆」となって、阪神淡路の大震災から東日本大震災、そして今回の熊本地震の被災地への共感となっています。 何かできないか、できることがあれば何でも、という気持ちを持った多くの共感者がボランティアとして向かっています。その人達こそまさに菩薩様です。

本音では自分のところでなくて良かったと思う人もいるかもしれませんが、明日のことが分からないのが人生です。 あなたの下に住んでいる巨人はいつ「身震い」してもおかしくない存在ですから、決して他人事とは思わずに被災地の人達に想いを致すべきでしょう。

「あたりまえのことがほんとうは幸せだったことが分かった」という素晴らしい内容の投稿文を見付けましたのでご紹介します。 東京都昭島市のまだ若干13歳の中学生冨高明香里さんの文章です。

「熊本県をはじめとする九州地方で大きな地震が起きた。テレビでは死亡した人数や崩壊した建物が映し出されている。 私はテレビを見ながらふと、被災された方の、地震が起きる前の様子について考えた。友達と楽しく話したり、一生懸命仕事をしたり、私たちと同じような生活を送っていたと思う。しかしこの地震で平和な生活は奪われてしまった。 私たちの身にいつ何が起こるか分からない。もしかしたら、明日死んでしまうかもしれないし、百歳まで生きるかもしれない。 私は急に人生の終わりが来たとしても、後悔しないように生きていきたい。そのためには、今まで当たり前と思っていたことを幸せなことと考えたい。そうすれば、いつも通りの一日も丁寧に大切に生きていけるのではないだろうか。もし毎日を大切に生きたら、絶対に後悔はしないはずだ。 そして、今回被災して亡くなられた方のご冥福をお祈りします。」

道元禅師は、「たとえ七歳の女流なりともすなわち四衆の導師なり」と示されています。 他人を慮る菩提心があれば、老若男女に関係なく、たとえ七歳の女子であってもその者こそあらゆる人達にとっての「人生の先生」だという意味です。

他方、「あの地震が今の時期で良かった」などと発言した大馬鹿国会議員がいました。 次の総選挙の時期のことを考えての発言だったというのですが、普段から私利私欲を大優先にしている本音が吐露されたことに間違いないでしょう。

日本には2000以上の活断層があり、未知も活断層も多数あるといわれます。 いつどこで地震が起こるか分からない地震大国日本なのです。 今回の地震の収束の見通しもなく、南海トラフを誘発するかもしれないという心配もある中、政府はなぜ鹿児島の川内原発を停止させないのでしょうか。

地震の巣である日本列島にある原発はやはり考え直すべきです。 福島原発の炉心のデブリを除去するのは本当は不可能だそうです。毎日400トンの地下水が流入していることも止められない。たとえ廃炉しても無害化には10万年も要すると言われます。使用済み核燃料の安全貯蔵の場所すら決まっていません。

安倍政権は福島原発事故の原点に立ち返り、原発に依存しないエネルギー政策の再構築に取り組む必要があります。 こんなことを言ったところで、所詮我利我利亡者の政治家連中にはまさにカエルの面にションベンかもしれませんけどね。

今回はつい長文章になってしまいました。 最後まで見て頂いた方に感謝して終わります。

合掌

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