千葉県南房総館山市にある曹洞宗のお寺です。水子供養・永代供養・ご祈祷などのお申し込みは当山まで。坐禅体験もあり。

曹洞宗 正木山西光寺

曹洞宗 正木山西光寺

  • ホーム
  • 西光寺のご紹介
  • 永代供養
  • 水子供養
  • ご祈祷
  • お問合わせ
法話

法話

法話は毎月1回更新します。
今まで掲載された法話をお読みになりたい方は左のメニューをクリックして下さい。

夏休みあれこれ −自然と平和に感謝− 平成28年8月

八月は日本人にとって俄かに忙しい月です。
夏休み、帰省、お祭り、花火大会そしてお盆等の行事などが目白押しです。
さらには広島、長崎の原爆の日、終戦記念日もあり国民にとっては多種多様な行事を迎えます。

それにしても一般人にとって一番楽しいのはやはり「夏休み」ではないでしょうか。
拙僧も子供の頃は夏休みが楽しみでたまりませんでした。
拙僧が育ったのは外房の漁師町で、夏は毎日といっていいほど海で遊んでいました。
遊ぶといっても天草などを採って売って小遣い銭を稼いでいたのです。

その小遣いでお祭りを楽しむことが更なる大きな楽しみでした。
今では鴨川市になってしまいましたが、拙僧が育ったのは旧天津小湊町です。
その町の人は特に祭り好きで、祭りはなんと三日三晩続き、町の人口も何倍にもなりました。

各町内にそれぞれの屋台があり、拙僧も地元の屋台の太鼓を叩くのが一番の楽しみでした。
町に只一の神輿がありますが、これがまた凄い神輿なのです。
でっかくて兎に角カッコいいのです。
見ているだけで血が騒ぎ、心が踊るのです。

この歳になっても不思議とその感動は変わりません。
神輿と屋台を見てお囃子を聞くと今でも心が高鳴ります。
どこのお祭りのどんな神輿と比べても、心の中で天津の神輿は日本一だと思ってしまいます…バカですね。それは十分自覚しています。

つまり言いたいことは、こどもの頃の経験や感動は幾つになっても忘れないということ。
だから子供の時こそいろいろな良い経験をすることが大事だということです。
安っぽい言訳ですかね。
でも興味のある方は是非「鴨川市天津祭礼」で検索してみてください。

ところで、この夏休み明け近くなると子供の自殺率が特にあがるということがテレビで報道されていました。
拙僧もそうでしたが夏休みが終わりに近づいてくるほど気持ちが落ち込んできたものです。
でも自殺するにはよほどのイヤなことを抱えているのでしょう。

拙僧は特に何もありませんでしたが、登校するという「義務感」が嫌でしたね。
当時は不登校のこどもはほとんどいませんでしたが、いまは、全国でなんと17万6千人ものこども(国公立、小、中、高校だけで)が学校に行けてないとか。

その原因としては、無気力(30,8%)、不安・情緒的混乱(18%)、あそび・非行(10,4%)、そして四番目に、いじめ・友人関係(8,3%)となっています。
我々団塊の世代にはこんなことはありませんでした。
一学年300人位いたと思いますが、不登校の子供が一人でもいたという記憶がありません。

まだ戦後間もない頃でしたが、当時子供心に「戦後」という感覚はまったくありませんでした。
向こう二軒両隣には同級がいました。
男の子は学校が終わると徒党をなして野原を遊び回っていました。
夕方暗くなるまで遊んでいてよく親が迎えにきたものです。

子供たちはいつもお腹が減らせていたこともあり、子供たちにとって野山にある柿やあけび、木イチゴ、野イチゴ、茱萸(グミ)、桑の実など、食べられるものを漁るのも遊びの大きな要素でした。

時には枇杷や栗を求めて他人様の領地を侵したりして追いかけられもしました。
足や手には生傷が絶えませんでした。
以前にも触れましたが、当時の子供たちは大自然の精のなかでたくましく育ったのです。
実家の前には川があってすぐ先の海に注いでいました。
猫の額のような地域で周りは山に囲まれていました。

そんな環境だったので、昨日は川で、今日は山、明日は海でと、ガキ大将の気分しだいで様々な場所で遊んだものです。
魚釣りはもちろん、うなぎや川エビや藻屑蟹などを捕ったりしたものです。
ですから今でも木登りも泳ぎにも自信はあります。

そんな子供の頃の記憶は楽しかったことばかりです。
ただ一つあるとすればそれは将来に対する不安でした。
高校への進学率が急激に高まっていた時代で進路に対する葛藤は今でも忘れません。

いまの子供たちの素質が昔の子供たちの素質と違ってしまったとは考えられません。
昔なかったアトピーやアレルギーが増えたのは、子供たちの生活環境が自然の摂理にそぐわなくなってしまった結果なのです。
このことは以前から指摘してきました。

不登校だけに留まらず、大人になっても閉じこもりになるのは、人が人らしく生きられる環境ではないということです。
人間以外の動物には閉じこもりなどありません。
動物が動物として当たり前の環境のなかで生きているからです。

人も動物だと考えると、人はもっと昔のように動物的に生きるべきではないでしょうか。
動物的になれば、無気力も不安も情緒混乱、非行、いじめなど起こりません。
人は霊長類で動物の進化の先端にいるという奢りの中で環境が異常になってしまったことに気が付かないのです。

人も動物である以上、おかしな環境にいれば病気になるのは当たり前です。
食生活環境が悪いから生活習慣病になるのです。
心の環境が悪いからいじめや引きこもりが起こるのです。
大自然の動物には生活習慣病も引きこもりもありません。
動物は大自然の摂理の中で生きているからです。
人もまさに動物だという自覚が大事です。

さて、あと8月と言えば原爆の日と終戦記念日です。
毎年やってくる記念の日ですが、戦後71年目を迎えアメリカの現職大統領として初めてオバマ大統領が被爆地広島を訪問しました。

核兵器廃絶へ向けた歴史的一歩として歓迎する声は日本の内外にあがりましたが、その一方で、日米の様々な立場の人たちが、謝罪すべき、謝罪すべきではないといった議論もありました。

原爆投下の正当性に関する両国民の世論については、アメリカの調査機関が同時に行った最近の意識調査があります。
日本人で原爆投下が「正当化される」と回答した人は14パーセントだったのに対して、アメリカ人では56パーセントと半数を超えていました。

しかし、「正当化される」と回答したアメリカ人の割合は確実に減ってきています。
1945年のギャラップ社調査では85パーセントが「正当化される」だったのに対して、91年の調査では63パーセントに落ちました。
この先さらにこの割合は低下するだろうと思われます。

それにしても日本人の回答者の14パーセントが「正当化される」と回答したのには驚きます。
どこの社会にも一割は「変わり者」がいるそうですから、割合から言えばそんなものかもしれません。

広島が14万人、長崎が7万人というのが日本で広く引用されている死者数ですが、広島のこれまでの原爆が原因による死没者は、2008年8月6日現在で25万8310人とされています。
しかし実際には現在でも正確な数はつかめていないそうです。

それにしても、いくら戦争だからといっても核兵器だけは使ってはいけません。
原爆の威力、恐ろしさを知っていて使ったとしたら如何なる言訳も許されません。
ドイツがユダヤ人虐殺を認めたからドイツはヨーロッパから許されたとして、日本も南京虐殺を認め戦争犯罪を認め謝罪しろと執拗に迫る隣国がありますが、アメリカの原爆と東京大空襲こそ大虐殺ではないでしょうか。

オバマ大統領の広島演説はまだ自国の国民感情に配慮した内容になってしまいましたが、近い未来アメリカは必ず日本に謝罪する日がやってくると拙僧は信じます。

八月十五日は終戦記念日であると同時にお盆です。
十二月八日は開戦日であると同時にお釈迦さまの成道会です。
日本国民にとってまさに国教ともいえる仏教の開祖お釈迦さまがお悟りを開かれたその記念の日に日本は真珠湾攻撃をして開戦したのです。

結果310万もの日本人が犠牲となりました。
なんという因果か、拙僧は毎年この両日を迎えるたびに、お釈迦さまが戦争だけは二度とするなと言っているような気がします。
イヤ全国民が戦争の反省と平和への誓いをあらたにする日にすべきです。

合掌

Copyright © 2005-2016 曹洞宗 正木山西光寺. All Rights Reserved