千葉県南房総館山市にある曹洞宗のお寺です。水子供養・永代供養・ご祈祷などのお申し込みは当山まで。坐禅体験もあり。

曹洞宗 正木山西光寺

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法話

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おもてなし(その2) −見返りを求めない心こそおもてなし− 平成28年10月

今回はネット、ユーチューブの中で見つけた感動のエピソードをそのままご紹介します。
タイトルは「一輪の花から始まった絆」です。

大東亜戦争(太平洋戦争)の終結からわずか5年後、昭和25年(1905)9月のことです。
まだ戦争の傷跡が残る日本に、一人のアメリカ人がやってきました。

アメリカ海軍の提督、アーレイ・バークです。
バークは駆逐艦乗りです。
巨大な戦艦を追い回す駆逐艦乗りには日米とも猛将といわれた人が多くいました。
バークもその一人です。

バークは太平洋戦争の中でも、日米合わせて9万人以上もの犠牲を出した激戦地「ソロモン海戦」で日本軍の脅威となった男です。
そのバークが、敗戦国日本を支配する占領軍の海軍副長として、アメリカから派遣されたのです。

それは、「朝鮮戦争」勃発の直後でした。
バークが東京の帝国ホテルにチェックインした時のことです。
「バーク様、お荷物をお持ちいたします」
「やめてくれ、最低限のこと以外は、私に関わるな!」

実は、バークは筋金入りの日本人嫌いでした。
親友を日本軍の真珠湾攻撃によって失い、血みどろの戦いで多くの仲間や部下を失っていたからです。
戦争中、バークの心には、敵である日本人への激しい憎悪が燃えていました。

「日本人を一人でも多く殺すことなら重要だ。日本人を殺さないことならそれは重要ではない」という訓令を出したほどでした。
また、公の場で日本人を「ジャップ」「イエローモンキー」と差別的に呼び、露骨に日本人を蔑みました。

したがって、どれだけ日本人の従業員が話しかけても無視しました。
「腹立たしい限りだ! 黄色い猿どもめ!」

日本に来てから1ケ月ほどしたある日のこと。
「なんて殺風景な部屋なんだ」
ベッドと鏡台と椅子だけの部屋を見て、せめてもの慰みにと、バークは一輪の花を買ってきてコップに差しました。
このあと、この花が以外な展開をたどることになります。

翌日、バークが夜勤から戻ってみると、コップに差した花が、花瓶に移されていたのです。
バークはフロントに行き、苦情を言いました。
「なぜ、余計なことをした。誰が花を花瓶に移せと言った?」
「恐れ入りますが、ホテルではそのような指示は出しておりません」
「何だって?」

この時は誰が花瓶に移したのか分からなかったのです。
さらに数日後・・・。
何と花瓶には昨日まではなかった新しい花が生けられていました。
「一体誰がこんなことを・・・」
花はその後も増え続け、部屋を華やかにしていきました。

バークは再びフロントへ行きました。
「私の部屋に花を飾っているのが誰なのか、探してくれ」
調べた結果、花を飾っていた人物が分かりました。

それは、バークの部屋を担当していた女性従業員でした。
彼女は自分の乏しい給料の中から花を買い、バークの部屋に飾っていたのです。
それを知ったバークは、彼女を問い詰めました。

「君は、なぜこんなことをしたのだ?」
「花がお好きだと思いまして」
「そうか。ならば、君のしたことにお金を払わなければならない。受け取りたまえ」と、彼女にお金を渡そうとするバーク。

ところが彼女は・・・「お金は受け取れません。私はお客様にただ居心地よく過ごしていただきたいと思っただけなんです」
「どういうことだ?」

アメリカではサービスに対して謝礼(チップ)を払うのは当たり前のことです。
しかし、彼女はお金を受け取りません。

このあと、彼女の身の上を聞いたバークは驚きました。
彼女は戦争未亡人で、夫はアメリカとの戦いで命を落としていたのです。
しかも、彼女の亡き夫も駆逐艦の艦長で、ソロモン海戦で乗艦と運命を共にしたのでした。

それを聞いたバークは、「御主人を殺したのは、私かもしれない」と彼女に謝りました。
ところが、彼女は毅然としてこう言ったのです。
「提督、提督と夫が戦い、提督が何もしなかったら提督が戦死していたでしょう。誰も悪いわけではありません」

バークは考え込みました。
「自分は日本人を毛嫌いしているというのに、彼女はできる限りのもてなしをしている。この違いは、いったい何なんだ・・・」

のちに、バークは次のように言っています。
「彼女の行動から日本人の心意気と礼儀を知った。日本人の中には、自分の立場から離れ、公平に物事を見られる人々がいること。また、親切に対して金で感謝するのは日本の礼儀に反すること。親切には親切で返すしかないことを学んだ。そして、自分の日本人嫌いが正当なものか考えるようになった」

こうして、バークの日本人に対する見方は一変したのです。
折しも朝鮮戦争は激しさを増していました。
バークは一刻も早くアメリカ軍の日本占領を終わらせ、日本の独立を回復するようにアメリカ政府に働きかけるようになりました。

加えて、日本の独立と東アジアの平和を維持するために、日本海軍の再建を説きました。
まだ終戦5年後ですから、アメリカ人の大多数が反日感情を持っている中です。
バークは根気強く説いてまわり、ついに海上自衛隊を作ることに成功したのでした。

その後、バークはアメリカ海軍のトップである作戦部長に就任します。
3期6年間も作戦部長を務めたのは海軍史上でバークだけです。
バークは、最新鋭の哨戒機P2Vを16機、小型哨戒機S2F−1を60機も海上自衛隊に無償で供給しました。

1961年、海上自衛隊の創設に力を尽くした功で、バークは日本から勲一等旭日大綬章(最高の勲章)を贈られました。
1991年、バークは96歳で亡くなります。

各国から多くの勲章を授与されたバークですが、葬儀の時に胸に付けられた勲章は、日本の勲章ただ一つ。
それは本人の遺言でした。
そのため、ワシントンの海軍博物館にあるバーク大将の展示には、日本の勲章だけが抜けたままになっています。

以上、原文そのままを載させていただきました。
見返りを求めない「おもてなし」・・・まさに布施の精神そのものです。
道元禅師は、「一銭一草の財をも布施すべし、此世佗世の善根を兆す」と示されています。
この「一草」の意味を如実に顕したのがまさに今回のエピソードだと言えるでしょう。
たとえわずか「花一輪」であっても、真心は人の心を変えさせることができるのです。

今世界は紛争やテロで苦しんでいます。
仏教の「菩提心」こそこれからの世界を変えていけるのではないでしょうか。

合掌

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