千葉県南房総館山市にある曹洞宗のお寺です。水子供養・永代供養・ご祈祷などのお申し込みは当山まで。坐禅体験もあり。

曹洞宗 正木山西光寺

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法話

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おもてなし(その3) −菩提心の発揚− 平成28年12月

以前、「おもてなし」とは大切な人への気遣いや心配りの心であり、その精神は実は仏教に由来していると述べました。
その「仏教精神」とはズバリ言って「菩提心」の実践であるとも述べました。

菩提心とは「衆生を利益(りやく)すること」であり、衆生とはすべての「他人様」のことです。
その他人様に差別することなく、己よりも先に利益(りやく)を与えること、その尊い心を「菩提心」と呼ぶのです。

以上は9月分法話「おもてなし(その1)」の中で述べてきたことの繰り返しですが、今回はその「菩提心」の模範とも言えるエピソードをご紹介しましょう。
やはりネット、ユーチューブの中で見つけた感動のお話です。

2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災が発生した時の話です。
東北地方太平洋沖地震とそれに伴って発生した津波により引き起こされた未曾有の大災害は今なお深い爪痕を残していることは言うまでもありません。

この話はその大震災直後福島県に派遣された一人の警察官のレポートです。
彼は在日ベトナム人の両親のもと日本に生まれ、人の為に働きたいと思い帰化して警察官になりました。

その彼が派遣された場所は福島第一原発から25q離れたある被災地でした。
震災と原発事故の最も過酷な状況の中で治安確保のための派遣だったのです。
しかし、治安は安定しており住民の見回りも機能し、彼は被害者の埋葬と食料分配の手伝いを多忙な職員に代わって行っていました。

被害者と向き合った初日こそ涙を流したものの、余りに酷い惨状に泣くことさえ忘れ、ただ唖然と仕事をこなす毎日となりました。

中国のグローバル、ニューズという新聞のバン・ヘイ・バン記者が3月17日に取材のため彼に一日同行しました。
倒壊した建物を通ったとき、数千万円の紙幣が濡れて広い敷地内に散乱していましたが、誰も拾おうとしていませんでした。

バン・ヘイ・バン氏は「50年後、中国の経済レベルは世界一になるかも知らないが、今の日本人のような意識や国民的な高いマナーのレベルに達せられるだろうか・・・」と話したという。

そして、忘れもしない3月16日の夜のことでした。
被災者に食料を配る手伝いのため向かった学校で、彼は9歳だという男の子と出会いました。
寒い夜でした。なのに男の子は短パンにTシャツ姿のままで食料分配の列の一番最後に並んでいました。

気になった彼が話しかけました。
長い列の一番最後にいた少年に夕食が渡るのか心配になったからです。
少年は警察官の彼にポツリポツリ話始めました。

少年は学校で体育の時間に地震と津波にあったのです。
近くで仕事をしていた父が学校に駆けつけようとしたというのです。
しかし、少年の口からは想像を絶する悲しい出来事が語られたのです。

「父が車ごと津波に飲まれるのを学校の窓から見た。海岸に近い自宅にいた母や妹、弟も助かっていないと思う」と話したのです。
家族の話をする少年は不安を振り払うかのように顔を振り、にじむ涙を拭いながら声を震わせていました。悔しさと心細さと寒さで・・・

彼は自分の着ていた警察コートを脱いで少年の体にそっと掛けてあげました。
そして持ってきていた食料パックを男の子に手渡しました。
遠慮なく食べてくれるだろうと思っていた彼が目にしたものは、受け取った食料パックを配給用の箱に置きに行った少年の姿だったのです。

唖然とした彼の眼差しを見つめ返して少年はこう言ったのです。
「ほかの多くの人が僕よりもっとおなかがすいているだろうから・・・」警察官の彼はおもわず少年から顔をそらしました。
忘れかけていた熱いものがふと湧きあがってきたからです。少年に涙を見られないように・・・

それにしても・・・曲りなりにも大学卒で博士号を持ち、髪にも白いものが目立つほどに人生を歩んできた自分が恥ずかしくなるような、人としての道を小さな男の子に考えされるとは。

9歳の男の子、しかも両親をはじめ家族が行方不明で心細いだろう一人の少年が困難に耐え、他人のために想いやれる。
少年の時から他人のために自分が犠牲になることができる日本人は偉大な民族であり、必ずや強く再生するに違いない。

自分の胸の中だけにしまっておくにはあまりにももったいない話でした。
イヤ、誰かと自分の感動を分かち合いたかった。
彼は、ベトナム人の友人に自分の体験した話を打ち明けました。

ベトナムの友人も感動して祖国の新聞記者に伝えたのです。
ベトナム紙の記者は次のような記事を載せて少年と日本を称賛しました。
「彼がベトナムの友人に伝えた日本人の人情と強固な意志を象徴する小さな男の子の話に我々ベトナム人は涙を流さずにはいられなかった。」

「我が国にこんな子がいるだろうか」と・・・
この記事が大変な反響を呼びました。
決して裕福とはいえないがベトナム国民からの義援金が殺到したという。

そして、我々も・・・悲劇と苦難のもとでも失わなかったけなげな日本人の美質と負けない力を少年の小さな行為から教えられました。
ほんとうにありがとう。
でも・・・気がかりなのは9歳の男の子のこと。

奇跡が起きて生還した家族と暮らしていることを心から願っている。
もし不幸にもそれが叶わなかったとしても懸命に生きている君に、叱られるかもしれないが一言いわせて欲しい。強く生きて欲しい。と・・・ほんとうにありがとう。

ところが、そんな感動的な話とは対照的な残念なニュースが最近日本中を駆け巡りました。
福島第一原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学生の男子生徒が、転入先の学校でいじめを受けて不登校になったのです。

彼はその辛い思いをつづった手記を公表しました。
「いままでなんかいも死のうとおもった。でもしんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」

福島から今でも2万人もの子供たちが日本の各地で避難生活しているといわれます。
そんな子供たちに対しての差別やいじめは多いという。
何故、辛い悲しい筆舌に尽くし難い経験をした上に避難先までもいじめを受けなければならないのでしょうか。
理不尽この上ありません。

あの福島の9歳の男の子が教えてくれたのは、仏教の最高の教え「菩提心」でした。
その「心」は日本人の中に普遍的に存在している日本人の「心」だと拙僧は信じています。
そんな日本人の優しさが世界に認識されてきたからこそ、日本は素晴らしい国だという評価をいま世界中から受けているのです。

しかし、子どもの世界でのいじめの実態は旧態依然だといえます。
子どもは大人社会の鏡です。
いじめを受けた福島からの子どもの教師さえ、なんと「ばいきん」の「キン君」と呼んでいたとか。
大人社会こそまず反省すべきでしょう。

あの福島の9歳の少年の示した「菩提心」を、日本人のすべての人がもう一度心に刻んで欲しいものです。

合掌

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