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仏教講座



■観音様  --その1--

観音様は観世音菩薩ともいいます。

「観」はみる、ただ見るのではなく、よく観るのです。
「世」は世間の世であり、世の中の意味です。
「音」は衆生の悩みや苦しみの声とか救いの音声であり、世間の私たち衆生の苦しみや
救いの声を聞きつけて馳せ参じてくださる菩薩様ということです。

観音様は無相であり、無我であるから宇宙のあらゆるところに縦横無尽、
円融無碍(えんゆうむげ)に現れることができます。
心に障碍、執着、わだかまりがないから自由自在。そこで観自在菩薩ともいわれるわけです。
観音様には、聖観音、千手観音、十一面観音、如意輪観音様などがいらっしゃいますが、容姿がたいへん美しく、その端麗なお姿を見ているだけで心の中まで洗われるような気がしてまいります。

あらゆる人々を救ってくださるその慈愛に満ちたお姿から女性の菩薩ではないかと
思っている人もいるようですが、実は観音様は女性でも男性でもないのです。
といって中性という表現も当てはまらないように思います。
必要に応じて刹那刹那にあらゆる姿に変化される「かたよりのない存在」とでも申しましょうか。

その象徴があの気品と慈愛に満ちたお姿になっているのでしょう。
観音様はもとは「正法明如来」という如来様であったと言われています。
それが、高い位の如来であると低い段階にいるわれわれ衆生を救うことができないというので、
わざわざ一段位の下がった菩薩となって一切衆生を救おうとされているのです。

この観世音菩薩のことを述べたお経が「観音経」で、法華経のなかの第二十五章に相当するお経です。正式には「妙法蓮華経観世音菩薩普門品」といいます。
ところで、この妙法蓮華経というお経の題目の意味を少し考えてみましょう。
法華経は大乗経典のなかでも、もっとも有名なお経で、「諸経の王」「経王」などと言われています。

妙法とは「諸法実相」ということで、宇宙に存在する全てのものの「ありのままのすがた」ということです。
すべてのものの有り様が「妙法」なのです。
あたりまえのすがたそのまま、それが、道元禅師の「眼横鼻直」であり、
禅語の「柳は緑、花は紅」であるのです。

この世に存在するすべてのものの、森羅万象のありのままのすがたが妙法であり、
如来のすがたであるのです。

峰の色谷のひびきも皆ながら我が釈迦牟尼の声と姿と (道元禅師)

「蓮華」は蓮のことであり、蓮は泥池でなければ美しい花を咲かせない。
その美しい花は泥の中からこそ咲き誇ります。 そこに蓮の特徴があります。
泥池が衆生であり、蓮華が仏であるのです。

泥池があるから蓮華がある。
衆生があるから仏があるのです。
つまり、泥池=蓮華、衆生=仏なのです。

衆生本来仏なり、水と氷のごとくにて、水をはなれて氷なく、衆生の外に仏なし。
衆生こそ仏にほかならない。
われわれ凡夫は仏を遠くに求めたりしますが、自己自身が仏にほかならないということです。

仏教とは「自らが仏になる教え」であり、観音経は「自らが観音様になるおしえ」だと言えるでしょう。
しかし、誤解されてはいけません。
ただ、何もせずに仏や観音様になれる筈などありません。
次回は自ら観音様になる方法を考えてみましょう。
観音様(その2)

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