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若三千大千国土。満中怨賊。有一商主。将諸商人齎持重宝。経過険路。 其中一人。作是唱言。諸善男子。勿得恐怖。汝等応当。 一心称観世音菩薩名号。是菩薩。能以無畏施於衆生。汝等若称名者。 於此怨賊。当得解脱。衆商人聞。倶発声言。南無観世音菩薩。称其名故。 即得解脱。無尽意。観世音菩薩。摩訶薩。威神之力。巍巍如是。
若(も)し三千国土の中に満つる怨賊(おんぞく)あらんに、一人の商主(しょうしゅう)有りて、 諸々の商人を将(ひき)いて、重宝を齎持(さいじ)して、険路を経過(きょうか)せんに、 其の中に一人、是の唱言(しょうごん)を作(な)さん。諸々の善男子、恐怖を得ること勿れ。 汝等応当(まさに)に一心に観世音菩薩の名号を称すべし。
是の菩薩は能(よ)く無畏(むい)を以て衆生に施したまう。 汝等若しみ名を称せば、此の怨賊に於いて当に解脱を得べし。 衆の商人聞きて倶(とも)に声を発して、南無観世音菩薩と云わん。 其のみ名を称するが故に即ち解脱することを得ん。 無尽意、観世音菩薩は威神の力巍巍(ぎぎ)たること是(か)くの如し。
この三千国土の中は怨賊で一杯である。 ある一人の商人の頭(かしら)が多くの商人を連れて財宝を持ってある険しい山道を通って行く時、 みな盗賊への恐怖心に襲われた。 そのとき一人の商人が話はじめた。「みなさん、何も恐れることはありません。一緒に心から 観世音菩薩の名号をお称えしましょう。そうすれば観音さまは私たちの恐怖心を取り除いて くれます。一心に称名すれば盗賊もろとも解脱を得ることができます。」 商人たちはこれを聞いて共に声を出して「南無観世音菩薩」と称えた。
その名号をお称えすることでその一同はただちに解脱することができたのである。 お釈迦様は申されました。 「無尽意菩薩よ、観世音菩薩摩訶薩の威力・神力のすばらしさはこのように 巍巍(ぎぎ)たるものなんだよ。」と。
理釈で考えてみましょう。
この章に出てくる話は商人の話です。 当時のインドから中央アジアを経て中国に交易したいわばキャラバンを例にしたものと 考えたらよいでしょう。ここでは七難のうちの最後の怨賊難について述べられています。 ポイントは、険路、怨賊、畏れの三つです。このポイントを頭に置いておいてください。
三千国土とは無限の宇宙のことであり、全宇宙ということです。 この宇宙には怨賊が満ち満ちているというのです。 なぜいきなり三千世界かというと、人一人でも、猫一匹でも、蟻一匹でもそれ自体が 三千世界の本質だからなのです。
蟻の世界と人間の世界、地球上とアンドロメダ星雲の世界とは異質ではないのです。 全くの同体なのです。 一切の存在は三千世界そのものなのですから。 すなわち一匹の蟻それ自体が三千世界であるということです。(ちょっと難しいでしょうか)
商主も商人も我々一般の人間のことです。
重宝とは財宝のことであり、その中身は財産、名誉、権力、そしてその恩恵から受ける 欲望を満たす為の酒や女や豪奢な生活のことです。 これらは人が人で有る以上普通にしかも当たり前に執着するものです。
それらを夢や目標として持つことは一見当然なことです。
しかしその「執着心」が度を超えることが問題なのです。 歯止めの利かなくなった執着心、それはただデタラメに増殖し続ける癌細胞によく似ています。 とどまるところを知らないその執着心は己れの体を蝕んでゆきやがて己自身をも滅ぼしてしまいます。
そんな「度を超えない」ことが必要なのです。 すなわち「足(たる)を知ること」なのです。 人にはそれぞれ応分というものがあります。 そんな知足を知らない妄執の虜になった我利我利亡者に待っているのがすなわち「険路」なのです。
その不知足がもたらす険路には「五欲の罠」を持った「怨賊」が待ちかまえているのです。
人々を隙あらば誘惑してその罠に陥れようと虎視眈々と狙っているのです。
その誘惑に取り憑かれると普段考えられない短絡的、衝動的悪魔の行動をしてしまうのです。 これを一般的に「魔が差す」などと言っているようです。
ここで誘惑の「五欲の罠」について少し説明しておきましょう。 その罠とは殺・盗・淫・妄・酒の五つをいいます。
「殺」とは殺すことです。
殺すとは人や生き物の命を盗ることだけではありません。「物の命」も含まれるのです。 物の命とは即ち「物の価値」のことです。現代人はあらゆる物の価値を損ねています。 無駄が何と多いことでしょう。
「もったいない」という言葉がちょっと叫ばれはじめたと思ったのですがどうも立ち消えして しまったのでしょうか。消費の勢いは止まりません。 人間様中心の生活は地球上の環境を悉く破壊し続けています。 それにも飽きたらず宇宙にまでゴミをまき散らしている始末です。 やがてくる因果を思うと末恐ろしいことです。
「盗」とは盗むことです。
詐欺、泥棒、強奪などの財産などを盗むことだけではないのです。 他人の時間や気持ちや精神的なものまで盗って自己を正当化することを言うのです。
自分の都合だけで他人の時間のことを考えない人がいます。
他人の大切な時間を搾取して気が付かない人がなんと多いことでしょう。 時間はイコール寿命なのですから。
気持ちを盗むとは他人の気持ちを弄んだり誤解を与えたり嘘の期待を抱かせたりすることです。 精神的損害を与えることをいいます。
「淫」とは淫事のことです。
人生における罠のなかで淫の誘惑は非常に強いものです。 現代社会は淫の誘惑で溢れきっています。 やらなっきゃ損みたいな、不倫に対する罪悪感などほとんど無くなってしまっています。
不倫は文化だと言った馬鹿がいましたね。 そんなタレントを持てはやしているテレビ界の良識を疑います。 視聴率主義のせいでおかしな番組が実に多いようです。 子供が悪くなるのも当然かもしれません。全て大人社会の責任です。
淫の誘惑に負けて仕事も名誉も棒に振る人が後を絶ちません。 つい数日前ですか、73才にもなる僧侶が少女買春で逮捕されたというニュースが 報じられていました。唖然でしたね。
少し前には牧師が大勢の少女に猥褻行為を行ったことでの裁判のニュースもありました。 この欲望だけは年齢、見識、地位や名誉などが必ずしも抑止力にはなっていないようです。 くわばらくわばら。
「妄」とは「いつわり」のことです。
現代社会は人を陥れるための嘘がなんと多いことでしょう。
今でも振り込め詐欺に引っ掛かっる人が後を絶ちません。 昨年だけでも240億円もの被害があったとか。
ウソの建物耐震構造、ウソの証券取引、ウソの遺伝子組み替え、ウソのホリエモンメールなど、 ウソによる事件ばかり。 犯罪のほとんどはウソで始まります。
「酒」とはもちろんアルコールのことです。
仏教には「お酒は飲んではならない」という戒律があります。 少しはいいのでは、と思っている人が多いようですが実はそれは間違いなのです。 本当は少しでもダメなのです。「般若湯」などは詭弁のための造語なのです。
お酒は人の理性を狂わせる誘惑の最大なるものといわれています。 実際にお酒で失敗する人も実に後を絶ちませんね。 飲酒は一切の戒を破るという「酒は起罪の因縁なり」と「梵網経」に書かれています。 お酒の好きな方は要注意(私を含め)。
以上五欲の罠についての説明でした。
このように険路には怨賊がいて出会えば五欲の罠に陥れようとしているのです。
その恐怖、それが「畏れ」なのです。 人々は絶えずそんな怨賊と罠の畏れに怯えているのです。
その畏れから解放させてくれるのが観音さまなのです。
観音さまのことを「施無畏者」(せむいしゃ)ともいいます。 無畏という「恐れのない心」を施してくださるのです。 畏(おそ)れの無いこころとは、どんな人生の逆境に立ったときでも 「生きる勇気を与えてくれるこころ」のことなのです。
一心に観世音菩薩をお称えすることで無相の観音さまに抱かれるわけです。 そこはすべてを放下し真理に目覚め煩悩や悩みや一切の畏れの無くなった無畏の世界なのです。 ひとりの商人が叫びました。「みなさん畏れずに一緒に観世音菩薩の名号を称えましょう。 恐ろしい気持ちから救われるだけでなく観音さまのお悟りを頂くこともできるのですよ。」と。
それを聞いた一同は直ちにそれに従い共に解脱し救われたのです。 ここでもう一つ肝腎なことは、そのひとりの商人を疑う人が誰一人として居なかったということです。 一心とは文字通りと全員の心が一つになることでもあるのです。
一同が一心に観音さまをお称えするということは、観音さまと同じ無相になることであり 一切の煩悩から解脱し「無畏」の世界に入るということです。 そしてそれは自分たちの解脱だけではなく、怨賊という悪魔さえも同時に解脱させてしまう というまさに一石二鳥の効果となって表れるのです。
なぜなら怨賊の正体こそ実は人々の心の中に居る執着という煩悩そのものだったからです。 つまり、救って下さる観音さまも、地獄に陥れようとする怨賊も実はおのれ自身の中に 居たのだということが解るのです。ここが最重要ポイントなのです。
ここを理解できるかどうかでほんとうに観音さまから守っていただけるかどうかの 実感がつかめるのです。 さとりという菩提と煩悩という怨賊が一体になる境地、これが「煩悩即菩提」であり 「即心即仏」なのです。
「無尽意よ・・・」とお釈迦さまは無尽意菩薩に呼びかけ申されました。 「観世音菩薩摩訶薩の威力、神力のすばらしさは、このように巍巍たるものなのだよ」と。
巍巍たるとは、高く聳える山のように雄々しいさまを言っています。 「摩訶薩」の摩訶とは偉大と言う意味で偉大なる菩薩という尊崇の表現です。
お釈迦さまから摩訶薩と尊称され讃えられた観音さまは現代においてもやはり 人気ナンバーワンの菩薩さまなのですね。
その威神力を信じみ名をお称えしましょう。 「ナ〜ム観世音菩薩」
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| 合掌 |
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