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仏教を学ぶにあたり、まずは釈尊について簡単にその生涯を知っておく必要がある。
そして、仏教は釈尊の悟りから生まれ、その悟りは禅から生まれたものであるということ。
しかし、禅を学ぶに当たり、最も肝要なことは「禅は手段ではなく仏教そのものであると認識して 実践するところに全ての意味がある」ことを銘記しなければならない。
このことは最も大切なことなので最初に言っておきたいと思います。
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今からおよそ二千五百年前にインドネパール地方のカピラ国という小さな国に王子が誕生した。
ゴータマ・シッダルタ、つまりお釈迦様であった。
ゴータマとは種族の別名であり、シッダルタとは、全ての望みが叶えられるという意味の名前である。
釈迦とは本来釈迦族の意味であり、普通我々が使っているお釈迦様とは釈迦牟尼世尊、 又は釈迦如来のことである。
また仏陀とも言う。
仏陀とは「真理に目覚めた人」「覚者」という意味である。
したがって、一般的にはお釈迦様と言うが我々(僧侶)は区別する意味で釈尊と言うことが多い。
父の名はシュッドーダナ、母の名をマーヤといった。
母マーヤ(麻耶)は産後の肥立ちが悪く、王子を生んで七日目に亡くなってしまった。
16歳で結婚、ラーフという男の子ももうけた。
何不自由なく、幸福感に包まれていたが、やがて迷いが生じ、疑問となって彼を苦しめたという。
人間が生きていく中で生じる様々な苦しみについて考え始めた。
特に、死や老い病気など、人間を苦しめる事について彼は真剣に疑問を持ち始めたのである。
人間にはなぜ、苦があるのか。
仏教では苦の全てを「四苦八苦」と言う。
四苦とは生・老・病・死を指し、八苦とはこの四苦にあと四苦、愛別離苦・求不得苦・ 五蘊盛苦(心身から生じる苦しみ)を加えたものをいう。
まさに釈尊の出家の動機はすべてここにあり、仏教の原点もここにあったと言っても過言ではない。
人はすべてこれらの苦を避けて通ることは出来ない。
質・量の違いこそあれ、みんな悩み苦しんでいる。
釈尊も全く同じ人間として、苦しみ抜き、解決の方法を模索し続けたのであった。
やがて、彼はそれらの問題を解決すべく、出家を決意する。
29歳のある夜、ひそかに城を抜け出し出家する。
そして、我々の想像を絶するほどの苦行を行った。
「過去の、現在の、未来のどんな修行僧も、私以上の苦行はしないだろう」と言ったと伝えられる。
当時はヨーガと呼ばれる瞑想法があったが、これはバラモン教の修行法とされていた。
様々な難行苦行の方法で悟りを求めようとした。
しかし、どんな方法からも真実の道は得られなかった。
心身は飢えと渇きで衰弱しきっていた。
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