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仏教講座

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観音経 --その6--

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若有衆生。多於淫欲。常念恭敬。観世音菩薩。便得離欲。
若多瞋恚。常念恭敬。観世音菩薩。便得離瞋。
若多愚痴。常念恭敬。観世音菩薩。便得離痴。
無尽意。観世音菩薩。有如是等。大威神力。多所饒益。
是故衆生。常応心念。
若し衆生有りて、淫欲多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬(くぎょう)せば、便(すなわ)ち欲を離るることを得ん。
若(も)し瞋恚(しんに)多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、便ち瞋(いか)りを離るることを得ん。
若(も)し愚痴(ぐち)多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、便ち痴を離るることを得ん。
無尽意よ、観世音菩薩は、是(か)くの如き等(とう)の大威神力ありて、饒益(にょうやく)する所多し。
是の故に衆生、常に応(まさ)に心に念ずべし。

これまでの七難はわれわれの心を外部から損なうところのものでしたが、本段ではわれわれの心を内部から害する三種の悪について説かれています。

頓(淫)、瞋、痴を三悪といいますが、この三つを「毒」と呼ぶのもおもしろいことです。
毒は人の体や心に苦痛を与えます。その苦痛にのたうち場合によっては死ぬこともあります。
そのように頓(淫)、瞋、痴のはたらきはまさに毒と同じであるのです。
よってこの三つの悪心を毒に例えて「三毒」と言うのです。

普通三毒といえば、貪欲、瞋恚、愚痴を言いますが、ここでは貪欲に代わり「淫欲」が説かれているのが大きな特徴です。
本段のここであえて淫欲がとりあげられているのは人間にとって如何に性欲の問題が大きいかということです。
2500年も昔にお釈迦さまはこの問題は人の幸福にとって最大級のテーマであると認識されたのでしょう。

それにしてもこれからも人類にとって永遠のテーマであることは間違いないようです。
若し衆生有りて、淫欲多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬(くぎょう)せば、便(すなわ)ち欲を離るることを得ん。
「もし、淫欲が沸き上がってきたらいつでも観世音菩薩を敬い念ずれば即座にその欲望から逃れることができる」と説かれています。

欲望の世界を「欲界」と言い、食欲、睡眠欲、性欲の三つを三大欲望と言います。
言うまでもなく人間のみならず生物が生きていく上で必要欠くべからざる三大本能欲であります。
この三つの欲望のなかでも食欲と睡眠欲は比較的容易に満たされます。
これに対して性欲はさまざまな制約を伴います。

性欲は道徳的にも社会的にも最も制約を受ける本能的欲求と言ってよいでしょう。
この点が他の生物と最も違うところであると言えましょう。
この制約にけじめの無い世界を畜生道と言います。
本能の赴くまま自分の欲望を満たそうとする世界、それが畜生道なのです。

最近、なんと十人以上の女性と同居し事実上一夫多妻の制度を勝手に作りあげて「もてる呪文」のお陰だとうそぶいていたとんでもないハーレムおやじがいましたね。
彼など畜生道の最たるものでしょう。
日本の法律では一夫一妻制度でなんとか男女の節度と社会秩序を維持しようとしておりますが、最近の世相を見ると淫欲による犯罪や悲劇、泥沼劇が至るところで繰り広げられています。
さながら畜生界の様相です。

しかしここで重要なことは、何も性欲を否定していることではないということです。
ほんらい性は美しいものなのです。
男女のしあわせと円満な家庭生活には無くてはならない大切なものなのです。
人が健康である以上性欲はあたりまえであり、男女あればそこには情欲があるのが当然なのです。
人が生きる上での根本的エネルギーでもあるのです。

問題はコントロールのできなくなった節度の無い性欲にあるのです。
前回の「五欲の罠」のなかでもふれましたが、性欲は節操を失なった時点で「淫欲」になります。
人の不幸はこの性欲が淫欲に変わったところに始まります。
不倫の果ての暴力や離婚、そして殺人や自殺、淫欲によるストーカーや痴漢行為、そして誘拐や強姦などなど、この淫欲に起因している不幸がなんと多いことでしょう。

特に現代は性の解放が著しく節度の境界がほんとうにイイカゲンになってしまいました。
うっかりするとその「罠」にはまり地獄に陥ってしまいます。
そのためにはしっかり自覚し心得てください。
愛情の無い性欲を淫欲と言うのです。
愛情があったとしてもエゴイズムがあったらダメです。

性欲も純粋な愛情であってこそ昇華されるのです。
真の愛情とは相手を理解しいたわり許せる心のことをいいます。
そして誰からも祝福されるものでなければなりません。
淫欲が起こったならば「南無観世音菩薩」と念ずることです。

観音さまのお姿を思いうかべてみてください。
観音さまのそのお姿を想像するだけでおかしな気持ちは萎えてきますよ。
観音さまは無相です。
自分も無相になれます。同じ無相の世界、それが淫欲煩悩からの脱却です。

第二の毒が瞋恚(しんい)、すなわち「怒り」です。
若(も)し瞋恚(しんに)多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、便ち瞋(いか)りを離るることを得ん。
「もし、怒りが込み上げてきたら、いつでも観世音菩薩を心から念ずれば即座に怒りのこころは消滅するであろう」

「瞋心(じんしん)は猛火よりも甚(はなは)だし」(遺教経)といわれるように、怒りがあらゆるものをだめにするのです。
怒りについては、【観音経②】の中で火難として説明致しました。
怒りは火の如く制御が利かなくなると一気に燃えあがりあらゆる物を焼き尽くします。

その最悪のケースが暴力、傷害、放火そして殺人などの凶悪犯罪にもなるのです。
相手や他人だけではなく自らをも破壊する自滅行為でもあるのです。
瞋恚(いかり)こそ間違いなく地獄の入り口なのです。
それにしてもときどきキレやすい人がいますね。ほんとうに人格を疑います。

怒りで物事が好転することはまずありません。
信頼関係など吹き飛んでしまいます。ホント短気は損気です。
怒りは壊すだけであり生まれるものは何もありません。
怒りが国家レベルになると戦争になるわけです。

現在竹島問題で日韓は大変な緊張状態にあります。
今日も韓国の大統領が相当強硬な発言をしていたこ とがニュースになっていましたが、「キレ」て不測の事態になることだけは絶対にあってはなりません。
両国の指導者には是非観音さまのこころを持って対処して欲しいものです。

もし、あなた自身が少しでも短気を自覚するとしたら、是非実行してください。
観音さまのお姿を想像して「南無観世音菩薩」と心から念じてください。
必ずしやあなたのこころに慈悲心が生じます。

三番目の毒が愚痴(おろかさ)です。
若(も)し愚痴(ぐち)多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、便ち痴を離るることを得ん。
「もし、おろかなこころに陥ったらいつでもこころから観世音菩薩と念ずれば即座におろかなこころから脱することができよう」

愚かであるということは、知識や教養が無いことではまったくありません。
「智慧」が無いということです。
事実知識や教養が無くとも人間として立派な人はたくさんいますし、その逆どんなに教養や地位、と名誉が があっても愚かな行為をしてしまう人もいますね。それは「智慧」が無いからです。

実際知識が犯罪に利用されたり、教養が必ずしも欲望や犯罪の抑止力になっていないこともありますね。
オレオレ詐欺が劇場型に進化して成果?を上げているのも知識を振り絞って研究?している結果なのです。
因果応報という「智慧」を心得ていれば決してできないことなのに・・・ですね。

大凡(おおよそ)因果の道理歴然として私なし(道元禅師) 因果の道理は地位や財産、名誉や権力に別なく万物万人に対して差別なく平等にやってくるのです。
これは例え坊さんと謂えども決して例外ではありません。
つい最近ですがある週刊誌によりますと、ごく最近ある宗派の元総長が30億円の使途不明金の件で検察から連絡を受け、「今回は徹底的に捜査をやりますよ」と言われた直後にあるホテルで首吊り自殺をしてしまったそうです。

総長といえば宗門の最高権力者です。
信徒数全国一番と自負するその宗派の最高の地位にあったそんなエライ坊さんに一体何があったのでしょう。
週刊誌の記事が事実としたらまったく恥ずかしく情けない話です。
その宗派の住職は檀家さんからいろいろ質問をされたらさぞ答えに窮するでしょうね。

少なくともその宗務庁はいずれ真実が判り次第全てを内外に発表する義務があるのは確かです。
何宗かって?それはつい最近の週刊誌FLASHをみてください。
このように智慧が無いから貪欲の餓鬼道や地獄道に陥るのです。
真にエライ人、立派な人とは単に教養や地位や名誉や財産があることとは無関係なのです。

「智慧」を持ちその智慧に基づいた行動のできる人をほんとうにエライ人、立派な人と言うのです。
その智慧こそ言うまでもない宇宙悠久の真理法則のことであり別名「般若」とも言います。
智慧がないから人は間違いをしでかしたり、悩み苦しむのです。
仏教の目的とはただ一つこの智慧を人類に知らしめることにあると言ってもよいでしょう。

その智慧により一切衆生が「心から観世音菩薩を念じることで、愚痴という迷いの世界を離れ涅槃の世界へ入る」ことを仏陀は切に願っているのです。
智慧を身につけかけがえのない人生を是非有意義なものにしたいものです。

「無尽意菩薩よ、このように観世音菩薩の力はすぐれたものであり、饒益(他人に利益を与えるところ)が大きいのだよ。
だから、衆生は常に観世音菩薩を一心に念ずべきなのです」と、お釈迦さまはこのように仰せです。

以上この段では人間の内なる三毒、淫欲を慈悲心に、瞋恚を勇猛心に、愚痴を智慧にそれぞれ転換させてくれる観音さまの功徳を説いたものです。

合掌

曹洞宗正木山西光寺