仏教に関するQ&A
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いろいろ考えましたが、どうもスッキリしなく、お問い合わせさせていただきました。
道元さんに「生の死になるといはざるは、佛法のさだまれるならひなり。このゆゑに不生といふ」(現成公案)というのと、
同じく、「生より死にうつると心うるは、これあやまりなり。生はひとときのくらゐにて、すでにさきあり、のちあり。かるがゆゑに、仏法の中には、生すなはち不生といふ」(「生死」)とあります。
いろいろものの本を読んでも、どうも、納得いくような解説にいきあたりません。
この二つの文は、それぞれ、何を教えてくれているのでしょうか。
それぞれを、一つずつ、明快に説き明かしていただけますと、幸甚に存じます。
どうかよろしくお願い申し上げます。
ご質問の二つは全く同じ問題です。
いずれも般若心経にあります、宇宙の実体である「空」を表したものであり、それを「不生不滅」の例で説明したものです。
生は死んで滅というのが常識ですが、仏法では、生は生でしかなく、死は死でしかないのです。
前後の流れはあってもその実体(本質)は変わらないということです。
「生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。たとへば冬と春とのごとし。」(現成公案)
生も死も一時の現象なのです。
だからその実体は「不生不死」なのです。
冬のときは冬でしかなく、春のときは春でしかないのです。
その実体は「不冬不春」なのです。
すべては「空」の実体の説明だと思ってください。
合掌