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平成18年3月6日 男性からのご相談

疑問(1)
なぜ、何のために人は生きるのでしょうか?生きる目的・生きる価値・生きる意味とは何でしょうか?

疑問(2)
どのように、いかに生きたらいいでしょうか?

疑問(3)
死んだらどうなるのでしょうか?死後の世界、魂、輪廻はあるのでしょうか?
信仰心が無いのであの世を信じることができません

西光寺住職です

疑問(1)のお答え
あなたのまわりに何か花は咲いていませんか?
もし露地にでもなにか花を見つけたらよ~く観てみてください。
何の花でもいいでしょう。
今の季節ですと野水仙がほのかな香りを漂わせていますね。
水仙は最も寒い季節に咲く花でしょうか。気品のある水仙の香りをわたしは好きです。
特にこの房州はこれからたくさんの水仙が咲き始めるところです。

さて、前置きが長くなりました。
たとえば、その野に咲く一本の水仙の花に「あなたは何の目的で咲いているのですか?」と聞いてみてください。
「あなたの今咲いている価値と意味は何ですか?」と聞いてみてください。

冗談で言っているのではありません。
その水仙は完璧に答えてくれていますよ。
どう答えているかって?それをあなたに是非感じとって欲しいのです。
そこに答えが如実に歴然と現れています。

水仙は誰かに見てもらいたくて咲いているのではありません。
咲く意味とか、目的とか、価値とか水仙は考えてもいません。
ただ咲いているのです。ただただ咲いているのです。 おわかりですか?
「人と花を一緒にするなよ。」という声が聞こえそうですね。

でもわたしの答えはその「一緒」の世界なんです。
あの山も、この草もあの木も、そしてあの鳥もあの犬もそれぞれが完璧に「存在」意義を示しています。
人間も同じなんです。まったく同じなんです。

疑問(2)のお答え
この答えも上と同じです。
一本の瑞々しい水仙の花はどう咲いたらいいのかとか考えていますか?
「もっと背が高く、もっと花びらを大きく、もっときれいに咲かなくちゃいけない」とか水仙の花が考えていますか?

その水仙の花はただただ咲いているのです。今のままでそのままで完全なんです。
何が不足なんでしょうか。これ以上一体何が必要なんでしょうか。
今のそのままで完璧じゃありませんか。
その一輪の水仙の花とあなたと何が違うのでしょうか。これが答えです。

疑問(3)のお答え
お釈迦様が真実を悟られたといいますね。真実とは事実なんです。
それが事実である以上そこには「法則」があるのです。
事実の法則ですからそれは絶対です。それを仏法と言います。
人類の発見した科学や化学の法則も真実の法則ですが、それらは全て証明することができます。
証明できなければ「法則」とは言われませんね。

しかし、お釈迦様の発見された法則は科学的にも化学的にも証明が難しいのです。
証明が困難であるということは説明が難しいということなのです。
それでもお釈迦さまや悟られたその多くの弟子たちがなんとかしてその法則を知らしめようとして八万四千の経文が説かれたのです。
しかしその法則を本当に理解するためには本人が「悟る」ことが一番なのです。

そのために理屈抜きに「修行」がなされてきたのです。
例えばバナナを食べたことの無い人にいくら説明してもその味を完全に理解させることはできません。
その味は食べた人だけに解るのです。
自分でガブリと食べてみてはじめてその「味」が百パーセントわかるのです。

その味の中身が悟りであり「仏法」なのです。
その法則のなかに「魂」や「過去世」や「来世」があり、そして「今」があるのです。
難しいでしょうか。
何も無いところから何も生まれませんね。化学的にもそうですね。仏法でもそうです。

だからあなたは生まれてくる前には何処かに居たのです。
だからこれから死んでもどこかに行くのです。
そういうと魂の存在を意識しますが魂だけが残って輪廻転生するなどということはありません。肉体と魂は一体なんです。

といって肉体が滅びると言いますが、実は形を変えるだけであってその肉体の本質と質量が無くなってしまうわけではないのです。
魂も肉体も一つのものであるからその魂も同じことなのです。
その肉体と魂の問題が解決すれば同時に「地獄」「極楽」の問題も解決します。

疑問(1) の水仙の魂は何処にありますか?
その水仙の魂がわかったときにかなり問題は解決されると思いますよ。
仏教を信仰するということは、何も無理矢理「仏を信じる」ということではないのです。
仏法を理解していく結果自然と「信仰心」がついてくるのです。

仏教は「化学」であり「科学」であるのです。しかも「超化学」「超科学」なのです。
それがわかったからわたしは信仰しているのです。
そして今生きていることのすばらしさ、かけがえのなさがわかってくるのです。

合掌

曹洞宗正木山西光寺