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法話

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法話--平成24年3月--

十三仏(普賢菩薩)--慈悲の実行仏--

今回は普賢菩薩のお話です。
前回の文殊菩薩とともに釈迦三尊の脇侍として有名です。
白象の背に坐している姿が一般的ですが、五仏がついている冠を戴せていたり、左手に宝剣を立てた蓮茎を持つ姿や、右手に如意や教典を持つ姿などその姿にバリエーションがあるのが特徴と言えるでしょう。

「四七忌」の導師で真言は、「オン サンマヤ サトバン」です。
この真言を唱えれば、災いを避け、寿命が延びるといわれます。
梵名は「サマンタバドラ」と言い、「サマンタ」は「普く」、「バドラ」は「賢い」を意味します。文字通りの「普賢菩薩」ということです。

智慧の文殊に対し、普賢菩薩は慈悲の実行を象徴する仏として釈迦如来の脇侍を努めます。
法華経「普賢菩薩勧発品」では六牙の白象に乗った普賢菩薩が修行者を守護し、理・定・行をつかさどるとされており、白象が進とき、それを妨げるものはないという。

つまり、象は徹底した「行」の象徴であり、白は衆生済度の「自利利他」の象徴であり、六本の牙は「六波羅蜜」の象徴であるといわれます。
六波羅蜜のうち、心の安定を修する行の禅定をつかさどり、一切にわたる最もすぐれた善を説く菩薩で、密教の金剛サッタと同体異名ともいわれます。

さらに、この菩薩が発展して密教の仏として表現されたのが普賢延命菩薩です。
この菩薩の場合は、一身四頭(三頭)の白象に騎乗され、その名のとおり、寿命を延ばす御利益と福徳を与える仏とされることから普賢信仰が広まりました。

日本では平安中期以降、女性の救済を説く法華経の普及によって、主に貴婦人たちから信仰を集めたといわれます。
また、絵画・彫刻などの作例も多く、特に平安時代後期の普賢菩薩騎象像(国宝・東京国立博物館)などその代表作と言えるでしょう。

法華経では、はじめの方の主役は「智慧」の文殊菩薩であり、中程においては「慈悲」の弥勒菩薩であり、さいごの結びにおいては「行」の普賢菩薩であるという設定になっています。

つまり法華経の意味するところは、まず諸法実相の智慧を知り、次に久遠実成の慈悲に生かされ、さいごに仏陀の教えを実行することが仏道であるということです。

釈尊は普賢菩薩の問いに対して、次の四つの事柄を成就すれば、如来(釈尊)滅後においても「法華経」の真義をつかみ、その功徳を得ることができると説いています。

これを「四法成就」といいます。
第一に、諸仏に護念されているという堅い信念を持つこと。
第二に、怠りなく日常生活に善行を積むこと。
第三に、正しい教えを奉ずる仲間に入ること。
第四に、世の中のすべての人々を救おうという心を持つこと。

この教えを受けて普賢菩薩は四つのはたらきをします。

1.

「法華経」の教えを自ら実行する。

2.

「法華経」の教えをあらゆる迫害から守護する。

3.

「法華経」の教えを実行するものが自ら招く功徳と、迫害するものが自ら招く罰とを証明する。

4.

「法華経」の教えに背いたものも、懺悔することによって罪から解放されることを証明する。

次に普賢菩薩の導きです。

1.

法に基づいて悟った真理が誤りでないことを証明します。

2.

実際において真理をどのように当てはめ、実行すればよいのか指導します。

3.

道を誤り失敗したら、その失敗を取り返す方策を教えてくれます。

次に人の世が悪くなる五つの汚濁です。

1. 劫濁・・・
マンネリ化して、活性化できなくなった世の中
2. 煩悩濁・・・
他人を省みない欲望や行動によって、正常に機能しなくなった世の中
3. 衆生濁・・・
一人一人の性質の違いから生じる調和のとれなく世の中
4. 見濁・・・
一人一人のものの見方が、よこしまの見方になったために起こる争いの世の中
5. 命濁・・・
年をとるとともに一人一人の残された命を不安に感じたり、時代を経て弱まる組織や国家において、人々が焦りを感じ不安になる世の中

普賢菩薩が教える智者の条件です。

1.

ものごとの是非善悪をよくわきまえている人

2.

自分のすることがどのような結果を生み、他にどのような影響を及ぼすかをあらかじめ見極めることのできる人

3.

自分がこの世でどのような位置を占めているか、どのような役目を持っているのかがよくわかっている人

4.

人を愛し、人と調和することの高貴な喜びを知っている人

5.

どのような生き方が人間らしい意義のある生き方であるのかよくわかり、世の中全体をもよくする道を知り、考え出すことのできる人


さて、東北大震災から一年が経ちましたが、未だ復興は遅々として進んでいません。
その最大の原因はがれき処理問題だとか。
今朝の新聞で見た川柳です。
「絆には加えてもらえぬ県三つ」

絆、絆という割には痛みを分かち合おうという気持ちがあまり感じられません。
野田総理も業を煮やし「国民性が問われている」と訴えています。
確かに放射能の汚染を心配されるのはわかりますが、広域処理には万全を期しているということが信じられないのでしょうか。

確かに、これまでの政府の対応には信じられないことばかりです。
東電は原発事故の反省はおろか未だ真相の公表を拒んでいます。
そんな東電になんの指導もできない今の政府をどこまで信頼したらよいのでしょうか。

ただ、世論調査(朝日新聞)では瓦礫受け入れに賛成64%、反対24%とのこと。
地域別では、関東、東海地域が70%で、中国、四国地域では56%、九州では49%と東高西底のばらつきがあるようで、遠いほど絆が薄くなるということでしょうか。

明治維新は長州、土佐、薩摩などの武士達の活躍によって達成されました。
高杉や桂をはじめ大久保や西郷隆盛、国民に圧倒的人気の坂本龍馬など、そのほとんどが西日本出身の武士たちでした。
今彼等が生きていたら日本のこの現状をどう思うでしょうか。

日本の維新に命を賭した彼等にすれば、おそらく「痛みを分かち合うことが絆である。絆なくして復興はあり得ん。維新魂を受け継ぐ者は率先して模範を示せ」と訓辞されるかも知れません。

政治はつねに国家国民の大局的見地に立って判断し実行すべきものです。
国民の過半数の総意をうけているのであれば、一刻も早く政治的決断をもって瓦礫の処理を進めるべきでしょう。それこそ民主主義というものです。

反対の人達も、放射線の実態を検証し安全の担保が確認できたら、是非客観的情状的見地に立って判断してみてください。
自分さえ良ければという自己本位からは絆も復興も期待できません。

他己へ思いを寄せ痛みを分かち合う心、一切の見返りを期待しない助け合い・・・それが布施であり慈悲心であるのです。
その心は誰にでもあるものです。
466億円を超えた義援金や数多くのボランティアや支援活動はまさに慈悲心の証に他なりません。

震災復興だけではありません。今の日本は様々な難局に直面し、まさに国家的危機状態にあると言えます。
今ほど法華経の智慧と普賢菩薩の実行力が求められている時はありません。

すべての国民に是非学んで欲しいものが先に挙げた「四法成就」と「五濁の戒」と「五つの智者条件」です。
特に政治家には「五濁の戒」を銘として国民のための真の政治を実行して欲しいものです。

合掌

曹洞宗正木山西光寺