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法話

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法話--平成30年12月--

日本人の宗教観 その3 ― まつり ―

平成最後の年の瀬の23日、天皇陛下は85歳の誕生日を迎えられました。
一般参賀には過去最多の8万人以上もの人たちが皇居を訪れたそうです。
陛下から最後の誕生日記者会見があり、象徴天皇として歩まれた60年の想いを切々と丁寧に感慨深く語られました。

戦没者への想い、平和への願い、災害被災者への寄り添い、そして外国人労働者まで心を配われました。
これまで支持してくれた国民への感謝と、後半には皇后陛下への労いを熱く語られ、後を託す皇太子、秋篠宮さまへの期待で締め括られました。

中でも、「天皇としての旅を終えようとしている今」とか「象徴としての私の立場を受け入れ、私を支えてくれた多くの国民に衷心より感謝」とか「自らも国民の一人であった皇后が、私の人生に加わり60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を心から労いたい」と言った表現に天皇のお人柄を感じ、分り易いお言葉のなかに文学的感性を感じ感動しました。

江戸時代まで天皇が一般国民の前に御姿を現すことなどありませんでした。
ましてや直接言葉を交わすなど出来ないまさに現人神だったのです。
それが戦後、昭和天皇による自らの「神格否定」(人間宣言)から今の明仁天皇は即位以来、象徴天皇のあり方を日々模索されてこられました。

その中で導き出された平成の天皇像を、戦没者慰霊や被災地訪問などを通して体現されてきました。
世論調査では、国民の8割が今の象徴天皇を支持しているそうです。
国民に寄り添い、苦楽を共にしようという姿に胸を打たれる人が多いのだと思います。

「日本人の宗教観」を考えたとき、日本人にとって天皇は特別な存在となっています。
神代の昔、天照大神によって国が生まれ、その流れは神武天皇(初代)から今の天皇に繋がっています。
日本はそんな神代から始まった神国であると信じられてきました。

天照大神は、八百万の神の中で最も尊い神であり、太陽を司る太陽神、天皇の祖神、そして伊勢神宮の祭神でもあるのです。
八百万の神は、山・海・風・雷といった自然の様々なところに宿っています。

八百万とは無限を意味し、それは日本の国土のどこにでも氏神様がおわしますということです。
北方領土にも小笠原諸島にも日本人がいたところには必ず社がありました。
それは日本人には八百万の神と共にあるという思いがあるからです。

日本はまさに八百万の神々に守られている神国といっても過言ではありません。
その神々の元締めが天照大神です。
お名前の如く太陽のように周りを照らす慈愛によって国民の安寧を見守っているのです。

その申し子が初代神武天皇であり、爾来その流れを125代絶えることなく受け継いできたのが今の天皇なのです。
天皇は天照大神を祀り、宮中三殿にて年間20回以上の祭祀を執り行い、国民の繁栄と国の平和を祈願しているそうです。

多くの国事行為のほか署名や押印などその数年間で約1000件にもなるそうです。
天皇はまさに激務の務めをされていたのです。
85歳といえば普通隠居され悠々自適な生活を送られていて当然です。
改めて感謝と労をねぎらいたいと思います。

さて、神道には最初から明確な教義があったわけではありませんが、八百万の神は慈悲深く寛容的な風習と儀礼の文化が育まれてきました。
そんな神道が仏教を受け入れ神仏習合の文化が生まれたのは仏教の慈悲の精神がまさに神道の精神と一致していたからではないでしょうか。

推古天皇は自ら仏教徒になり、仏教を保護し国教に位置づけ、「仏教興隆の詔(みことのり)」が出され各地で寺院建設が始まりました。
こうして神社約8万5千と寺院約7万7千もの社寺が日本各地に建設され共存共栄してきたのです。

明治新政府によって政治的に神仏分離が行われましたが、1400年続いた神仏習合の文化を無くすことはできませんでした。
そもそも文化は政治や権力者の都合によって易々変えられる次元のものではないのです。

どんな国の文化も基礎になっているのはその国の風土や風習や宗教です。
日本も神代の昔からあった神道に仏教が結びついた神仏習合という宗教が日本特有の文化を育んできたのです。

そんな日本文化の代表格が「まつり」です。
「まつり」は、超自然的存在への様式された行為です。
祈願、感謝、崇敬、帰依、服従の意思を伝え、意義を確認するために行われるのが際祀であり、年中行事や通過儀礼と関係して定期的に行われています。

「まつり」や「まつる」という言葉は漢字の流入により「祭り」「奉り」「祀り」「纏り」「政り」などの文字が充てられました。
日本は古代において、祭祀を司る者と政治を司る者が一致した体制であったため、政治のことを政(まつりごと)とも呼ぶのです。

八百万の神の下、祭祀は神道において根幹をなすものですが、神仏混淆の宗教文化のなか寺院においても、神を祀りながら、死者の霊、仏像、仏塔、曼荼羅などに対して儀礼が行われてきました。
それはまさに仏式祭祀といえるものです。

仏教には元来、祭祀の対象となるものは存在していなかったのですが、日本に伝来して以来神道の祭祀の文化と混合し、寺院でも祈祷、法要、供養などの行事が行われるようになりました。
地鎮祭などは神事のイメージがありますが、仏式で行うこともあります。
実際拙僧自身何回も地鎮祭を行っています。

「祭り」は、北島三郎の歌にもありますように、五穀豊穣を願う豊年祭りや、子孫繁栄を願う大漁祭りなど全国各地には30万以上もの祭りがあるといわれます。
ちなみに、日本の五大祭りは、神田明神、京都祇園、青森ねぶた、阿波踊り、そして岸和田だんじりだそうです。

この館山に那古寺(なごじ)という坂東三十三番観音巡礼の結願寺として古刹の真言宗のお寺があります。
毎年7月に大きな町内祭礼が行われますが、この祭礼は神社の祭礼ではなく那古寺の「寺祭り」なのです。
境内に何基もの山車や神輿が集結して盛大に行われますが、お囃子などは普通の神社の祭礼のものと確か同じです。

日本のお祭りは神道系の神社が中心になる祭礼が殆どですが、日本各地を見ると寺を中心とした祭礼は実はいくつも存在します。
千葉県ではこの那古寺のほかに成田山新勝寺が知られています。

祭りは宗教行事ですが、参加者に特に信仰心があるというわけではありません。
神への感謝の意味は感じていますが、大事なことは連帯感です。
祭りの掛け声で一般的なのが、「ワッショイ」や「セイヤー」「ソイヤー」などですが、「ワッショイ」には「和を背負う」という意味が込められているという説もあります。

花まつり、桜まつり、梅まつり、もみじまつり、菊まつり、七夕まつりなどから、狸まつり、ラーメンまつり、裸まつりなどなど、最近では~フェスタと呼ばれるものまで出てきて、日本文化は何でも楽しいものは「まつり」に結びつけてしまう文化なのです。

ちなみに「後の祭り」という言葉がありますが、「後悔の念を抱いてもすでに手遅れである」「後で騒いでも仕方がない。間に合わない」という意味で使われます。
この語源には2つの説があるといわれます。

一つ目は京都の祇園祭りに由来しているという説です。
山鉾巡業という最も盛り上がる「前の祭り」に対し、華やかさのない還車を送る後行事を「あとの祭り」と呼んでいます。
そんな祭りを見ても楽しくない、意味がないということから派生したという説です。

二つ目は「故人」にまつわる語源です。
人が亡くなった後「葬式」や「法事」などを行いますが、「他界した人に対して盛大な儀式を執り行っても仕方がない」という後悔の念から派生したという説です。

思えば人生はまさに「まつりごと」です。
後の祭りにならないような人生を送りたいものです。

合掌

曹洞宗正木山西光寺