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法話

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法話--平成28年11月--

御征忌焼香師報告 -両個の月-

大本山総持寺御征忌法会写真私事ですが、去る10月13日、本年度大本山総持寺御征忌法会に焼香師として、上山してまいりました。
「御征忌」とは、御開山瑩山(けいざん)禅師御命日供養を中心として、二代様以下各禅師さま方の報恩供養法要のことで、毎年十月に四日間に亘って修行される一大行事のことです。

焼香師の御案内を頂いたとき、正直あまり気が乗りませんでした。
それは、自身にそれに足る素養と資格があるか自信がなかったからです。
しかし、思えば今こうして一介の住職を務められているのも大本山総持寺での修行から始まったものであり、その御恩は計り知れません。

曲がりなりにも宗侶としてこれまでやって来られたのもまさに大本山をはじめ曹洞宗、宗門のお蔭様なのです。
そう考えたとき、今回の御縁は恐らく今後二度とない報恩の好機とも言えるものです。
そこでこの縁由に我が師先代住職の報恩忌を併せて修行させていただくことで決心いたしました。

大本山総持寺御征忌法会写真さて、日本曹洞宗は、言うまでもなく鎌倉時代に永平寺御開山道元禅師によって南宗から日本に齎されたものです。
その曹洞宗が今日までに日本全国に凡そ一万四千五百ケ寺院を擁する日本最大の仏教教団に成長したその礎は道元禅師から四代目の大本山総持寺御開山瑩山禅師に始まっているのです。

曹洞宗ではお釈迦さまを御本尊として、永平寺御開山道元禅師と総持寺御開山瑩山禅師のお二方を「両祖」と仰ぎ、「一仏両祖」として仏壇にお祀りしています。
ですから、曹洞宗には永平寺と総持寺を「大本山」として同格に位置付けているため、所謂「総本山」というものはありません。

道元禅師から懐弉禅師、義介禅師そして瑩山禅師に受け継がれた仏法は、遡れば南宗の如浄禅師を経て慧能禅師に行き、さらにそこから達磨大師を経てお釈迦さまに至るまさに正伝の仏法です。

その瑩山禅師の教えを受け継ぎ、今日の曹洞宗の基盤を形成する偉大な功績を遺されたお方が、総持寺第二代峨山韶碩(がさんじょうせき)禅師なのです。
瑩山禅師下には、峨山禅師と並んで二神足と尊称された明峰素哲禅師がおられます。

大本山総持寺御征忌法会写真この両禅師の会下より傑出したお弟子方が多く育ち、全国各地に布教の拠点を築きました。峨山禅師のもとからは特に「五哲」、または「二十五哲」と称せられる優れた門弟子が育ち、さらにそれぞれのもとより多くの弟子が全国に進出し今日の一大仏教教団曹洞宗が形成されるに至ったのです。

此度の御征忌のなかで拙僧の務めた法要がその「五院二十五哲献供諷経」でした。
恥ずかしながら愚僧の拙い香語を紹介致します。

両箇月圓諸嶽山 (両箇の月圓かなり諸嶽山)
須知月落不離天 (須ず知るべし月落ちて天を離れず)
賛仰廿五哲功勲 (賛仰す廿五哲の功勲)
一炷心香奉真前 (一炷の心香真前に奉ず)

ある夜、師瑩山禅師は弟子の峨山に問いかけました。
「汝(峨山禅師)、月に両箇あるを知るや。」
そのように尋ねられても、眼に映る月を唯一の存在だとしか理解できない峨山は言葉の意味を理解することができませんでした。

瑩山禅師は、「月に両箇あることを知らざれば、宗門の仏法を嗣ぐ者にはなれない」と 峨山に一層の弁道精進を指示されました。 「両箇の月」つまり二つの月とはどうゆう意味なのでしょうか。まさに一大公案です。

大本山総持寺御征忌法会写真峨山を優れた法器と高く評価していた瑩山禅師は一層厳しく指導されました。 すでに三年の月日が過ぎようとしていたある夜、寒気の中で、冷たく冴え渡った中で、月の光を浴びて峨山は坐禅をしていました。

彼の心境一段と深まったことを看取された瑩山禅師は、静かに傍に寄り、彼の耳元で指をはじかれたのです。その弾指は大音響となって峨山の心に響きました。

この様子について、諸伝は、「心身湛寂、物我俱忘」と記しています。 その意味は、精神・肉体などすべての執着を離れて、差別のない自由自在の境地に達したということです。

つまり、月と自己、師瑩山禅師と自己という、相対した観念の世界を脱し、あらゆる存在が自己と一体になったまさに対立観念の無くなった悟りの境地を著したものです。

しかし、これは悟境ではあっても、「色即是空」という一面にすぎません。
峨山は師の弾指の一喝によって、「空即是色」という現実の世界に回帰されたのです。
すなわち、「色即是空」が一箇の月だとすれば、「空即是色」がもう一箇の月だったのです。

お釈迦さまは菩提樹の下で正覚されました。
それこそ「色即是空」の大覚醒でしたが、次には樹下の坐を立たれ教導の道に踏み出されました。
この心がすなわち「空即是色」だったのです。
悟りの世界、すなわち「空」の世界と、現実の世界、すなわち「色」の世界がまさに一体にならなければ真の悟りではないのです。

大本山総持寺御征忌法会写真どんな深遠な悟りであっても、それが日常生活の場で実際の菩提心として機能しない限り、悟りの真価を発揮したことにはなりません。
ですから道元禅師は、坐禅のみならず、洗面、洗浄、食事、作務に限らずあらゆる所作に己の全人格を露呈するのが「修行」だと示されています。

師瑩山禅師の示された「両箇の月」の「公案」、その答えはまさに「悟りの月」と、「菩提心の月」だったのです。
「両箇月圓諸嶽山」 その両箇がまんまるく諸嶽山総持寺の上に輝いている。
「須知月落不離天」 やがて月はお隠れになっても無くなるわけでもなく、菩提心の月はいつでも天に輝いていることを悟らなければならない。
「賛仰廿五哲功勲」 その法燈を今日にお伝えされた廿五哲の功勲を仰ぎ敬います。
「一炷心香奉真前」 今ここに祖師様方に心をこめてお線香を手向けます。

自己の真源を了得した峨山は、師瑩山禅師より印可証明を受けられた後も、何ら変わることなく修行を続けられました。

やがて峨山禅師の名声の下に全国から多くの修行僧が集まりました。
峨山禅師は師の遺された「瑩山清規」(けいざんしんぎ)を基盤として総持寺の発展に尽くされ総持寺は叢林として次第に充実した体制を整えられたのです。

大本山総持寺御征忌法会写真総持寺の第三代には太源宗真禅師が就かれ、その伝燈は廿五哲と尊ばれる祖師方を経て現在に至り、今日の曹洞宗が築かれたのです。
しかるに二祖峨山韶碩禅師とその弟子廿五哲と称せられる祖師方の功績は実に計り知れません。

現今の世相の混迷は、人々が「心」を置き去りにして、物の豊かさだけをひたすら追求してきた結果だとも言えるのです。
人々が心豊かに幸せに生きるための原点が何度も言うように「菩提心」です。

そのお釈迦さまからのまさに正伝の仏法を今日まで伝え広められた峨山韶碩禅師と廿五哲の祖師様方に対して改めて報恩感謝を申し上げます。

合掌

参考文献
愛知学院大学教授佐藤悦成老師「峨山韶碩禅師伝」

曹洞宗正木山西光寺