▲上へ戻る

法話

  1. ホーム
  2. 住職ご挨拶

法話--平成26年6月--

四諦--苦諦その4 病苦その2 病気にならない生き方 その11 ―平和ボケ症-その2―

平和ボケとは、一言でいえば「平和の尊さ」が分からないことをいいます。
今のこの日本の平和があの悲惨な戦争の代償の上に成り立っているという想いが無くなってしまったとしたら、まさに「平和ボケ症」です。
平和ボケ症が病気だとしたら早くその自覚を持つことです。
自覚無くして"治療"は難しいからです。

戦後70年、日本は戦争の惨禍を忘れるようにしてひたすら経済発展に邁進してきました。
世界からも「奇跡の復興」と称えられ経済大国となりました。
今では信頼のおける平和主義国家として尊敬され模範とされるまでになりました。
これもすべて「戦争放棄」「不戦国家」として認められてきたからです。

しかし、そんな平和大国も70年という歳月が経ち世代交代も進み、戦争の記憶も反省も確実に"風化"の波にさらされていたのです。
多くの日本人にとってあの戦争は何だったのか、もはや過去の歴史の1ページになってしまったのでしょうか。

しかし、人間は「歴史に学ぶ」ことが大事です。
あの第二次世界大戦は人類にとって大きな反省と教訓になった筈です。
それを活かすには歴史に学ぶことで同じ過ちを犯さないことです。
歴史が教える平和の"代償"がどんなものだったのか今一度振り返る必要があります。

日本は230万人の兵士と80万人の市民が犠牲となりました。
ちなみにドイツ550万人、ソ連2000万人、中国1000万人、ポーランド600万人、イタリア78万人、イギリス50万人、アメリカ40万人、フランス34万人となっています。
全世界ではなんと約6000万人もの尊い人命が奪われたのです。

戦争の目的は只一つ、敵という名の"人"を殺すことです。
殺すか殺されるかが戦争です。そのためには手段を選びません。
戦争は人から"人の心"を奪い殺人鬼にしてしまいます。
殺人鬼に罪悪感はありません。殺し殺される報復の泥沼地獄に落ち込むのです。

今月23日、沖縄は慰霊の日を迎えました。
「本土防衛の捨て石」となった沖縄の悲劇を後世に伝え、平和を誓う日です。
「鉄の暴風」と表現される米軍の猛烈な艦砲射撃や空襲。
沖縄戦は住民を巻き込んだ地獄でした。犠牲者は日米合わせて20万人を越えました。

沖縄戦を戦った元日本兵の記事を紹介します。
三重県に住む近藤一さん(94才)のお話です。
大陸の各地を転戦し、'44年8月に沖縄に送りこまれました。

当時25歳、連日の白兵戦で負傷し、夜間に撤退する際、米軍が打ち上げた照明弾によって辺りが照らしだされると、一面に散乱した住民の死体が浮かび上がりました。
「兵隊さん、連れて行ってください」と手を差し出す女性。

母を失った赤ん坊の泣き声。南へ南へといざなって行く両足を失った負傷兵・・・。
私が中国で見てきた惨状が沖縄で起きていました。
米軍の戦車の火災放射で火だるまになって死んだ戦友も多数いました。

「こんな無意味な戦争で死ぬのは耐えられない。だが命令だから行くしかない。
さらばだ、近藤」同年兵はそう言い残して米軍に切り込んでいきました。
照明弾に照らされた目に涙が光っていてね。私の頭から消え去らない・・・。
何度語っても涙があふれます。
私も死を覚悟し銃剣を振りかざして突撃しました。
が、失敗。捕虜になりました。

近藤さんは住民への日本軍の残虐行為を知りました。
なんと"守ってくれるはず"の日本軍が住民から食糧を奪い、泣きやまない乳幼児の殺害や集団自決による肉親同士の「殺し合い」を強要。
軍の機密がもれるのを恐れ、軍命令により方言を話す人をスパイ視し、虐殺しました。

沖縄守備軍(第32軍)はもともと中国で残虐の限りを尽くした部隊が主力でした。
県民に対し「軍官民共生共死の一体化」を指示。
「一木一草トイヘドモ戦力化スベシ」として住民を根こそぎ動員しました。
県下の中等学校の生徒を鉄血勤皇隊や従軍看護隊として各部隊に配属したのです。

近藤さんは、中国での加害を語らなければ、戦争の本質は伝わらないと気づきました。
3年8ヶ月従軍した中国大陸。
近藤さんは数々の戦闘に参加し、食糧の略奪や家屋の放火、無抵抗の捕虜殺害を重ねました。女性への性的暴行に関わったことも。

入隊半年後に巡回した処刑場には、その日殺した生々しい死体、頭髪が半分ほど残っている死体、腐乱した死体、白骨化した死体がうずたかく積まれていました。

紙一重の生死を背に毎日を過ごすうちに、私ら兵士は血で汚され、死に怯え、人間喪失に陥り、殺人鬼になっていたのです。
再び日本の若者を"殺人鬼"にしてはなりません。

そんな状況をつくらないのが政治のはず。
何があっても戦争するような国家になってはだめです。
戦争になれば、米軍基地がある沖縄はまた戦場になってしまう。
隣国との危機回避は話し合いでできます。
憲法9条をきちっと守り、世界中から信頼される日本になってほしい。

戦争の地獄を経験してきたまさに生き証人のお話だけに実に説得力があります。
戦後70年、日本人の中で戦場へのリアルな想像力が衰弱してしまいました。
日本人が体験した直近の戦争は太平洋戦争でしたが、その実態がいかに無惨なものであったか、そうした実相が忘れられたことが想像力の衰えでしょう。

軍人軍属戦死者230万のうち、6割が餓死やマラリアなどの感染症で死んだのです。
日露戦争の戦死者は約6万人ですから、先の大戦ではいかに多くの人が無駄死にしたか、戦争のむごさがきちんと継承されていません。
これを平和ボケと言わず何というのでしょう。

その代表格がまさに安倍総理はじめとした今の政治家なのです。
政界では後藤田正晴氏や梶山静六氏ら「戦争への痛覚」を持った人達がいなくなり、ウオーゲーム感覚でしか戦闘、戦場をイメージできない政治家ばかりになってしまったのです。

安倍総理は29年生まれの60歳、真っ赤な「戦後派」です。
育ち盛りに流行ったのがインベーダゲームです。
彼を取り巻く政治家の多くが同世代の人達です。
戦争を起こすのはいつも一握りの指導者なのです。
その民族、その国民の運命がその者達に左右されるということに言い知れない不条理を感じます。

25日ついに公明党も「集団的自衛権大筋で合意」と新聞が伝えました。
「限定的」であれ「必要最小限」であれ、すべてまやかしです。
「集団的」の意味することは「戦地に自衛隊を派兵する」という以外の何ものでもないのです。
これは憲法9条のもとで専守防衛に徹してきた日本の安全保障政策の大転換なのです。

それにしても、日本の宗教界はこの一大事をどう捉えているのでしょうか。
国民の幸福と国家の平和をリードする筈の宗教界、どこからも声が聞こえてきません。
特にわが曹洞宗はどのように対応されているのか、またこの問題に対するスタンスはどうなのか。
気になって電話で伺ってみました。

広報担当というS氏によりますと、今のところ集団的自衛権に対する特にスタンスはなく今後の対応も分からないとのこと。
今のところ仏教界で反対を明確にされているのは東本願寺派さんだけとのこと。
正直唖然としました。
「国土安穏、万邦和楽、海衆安祥・・・」を毎日祈願している筈のわが宗門の"総本山"に今の日本の平和危機に対する自覚がなかったのです。

毎日のご祈祷はまさに「空念仏」だったのでしょうか。
かの故内山愚童老師が悲しんでおられます。
宗門にはいまだ歴史を学び平和をリードする気概がないのか・・・と

合掌

曹洞宗正木山西光寺