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法話

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法話--平成25年6月--

四諦--苦諦その3 老苦その3 天寿への道--

人間に与えられた天寿はいったいどのくらいのものでしょうか。
そして、長寿の秘訣はあるのでしょうか。
今回は寿命のメカニズムと養生について考えてみました。

前回、人間の体はたった一個の10ミクロン、つまり0,01㎜の細胞から始まっていることを紹介しました。
たった一個の受精卵が倍々にめまぐるしい勢いで細胞分裂を行い、人体を形作っていくのです。

そして、10ヶ月ほどして生まれ出てから細胞の「新陳代謝」が始まります。
それは、古い細胞が日々死んで、新たに細胞が生まれることです。
乳児期、幼児期、少年期と十数年をかけて、体はぐんぐん大きくなり続けるのです。

そして、死ぬ細胞よりも生まれる細胞が多い内が成長期です。
やがて思春期になって、死ぬ細胞と生まれる細胞との数が一致するのがすなわち成長期の終わりです。
もうこの若者はこれ以上身長が伸びることもなく、細胞の量は一定数のまま、生成と死滅を繰り返すのです。

そして、新陳代謝が衰え、新たな細胞を作り出さなくなってきた人体は、だんだんみずみずしさを失い、しおれた様子を見せ始めます。
これが老化であり、そして、最後に、すべての細胞が分裂を停止したときが生命の終わりです。
これがすなわち「寿命」なのです。

細胞が分裂を停止するときが寿命だとして、ではなぜ細胞分裂には限界があるのでしょうか。
南雲博士によりますと、それを決めるのが「テロメア」という、遺伝子DNAの端にある結び目だそうです。

そのテロメアは細胞が分裂する度に短くすり減っていき、限界に到ったとき分裂を停止するのです。
全ての細胞が停止するのが自然死であり、寿命なのです。
動物にはそれぞれの天寿があるのです。

では、人間に与えられた天寿はどの位なのでしょうか。
最近の人類120歳の天寿説の元となっている京都大学の故森毅教授の唱えた「2乗の仮説」を紹介しましょう。
それによりますと、人類の寿命は11段階あって、その限界は121歳だというのです。

第1段階  1の2乗=1歳まで(乳児期)
 2〃   2の2乗=4歳まで(幼児期)
 3〃   3の2乗=9歳まで(小児期)
 4〃   4の2乗=16歳まで(思春期)
 5〃   5の2乗=25歳まで(青年期)
 6〃   6の2乗=36歳まで(若年期)
 7〃   7の2乗=49歳まで(中年前期)
 8〃   8の2乗=64歳まで(中年後期)
 9〃   9の2乗=81歳まで(老年期)
10〃  10の2乗=100歳まで(長寿期)
11〃  11の2乗=121歳まで(天寿・絶対寿命)

では、なぜ現在のほとんどの人は、その本来の天寿を全うできないのでしょうか。
それは、遺伝子DNAのテロメアを短くしてしまう生き方をしているからです。
人間を取り巻く環境にはテロメアを短くする因子がたくさんあるのです。

環境汚染、過食、偏食、飲酒、喫煙、ストレス等々、悪い生活習慣によって体は傷つき、テロメアはどんどんすり減っていくのです。
生活習慣と環境の悪化により老化が加速するのです。
その条件は個々によって違います。
だから、テロメアの減り方は一様ではなく、寿命は個々に違ってくるのです。

以上の理屈からいえば、個人の寿命とは食事環境、肉体環境、精神環境、生活環境、それに遺伝子条件等に左右されていることになります。
と言うことは、これらの環境をすべて整えさえすれば人は本来の天寿である絶対寿命に限りなく近づくことができるということになります。

70歳を古希、77歳を喜寿、80歳を傘寿、88歳を米寿、99歳を白寿などと言って祝いますが、平均寿命が80歳を越えた現代からは昔在の感があります。
今や長寿時代といわれ、百歳を越える日本人は昨年(20012年)で5万1376人にもなったそうです。

調査を始めた50年前にはたった153人だったそうです。
男性の長寿世界一としてギネス認定されていた京都の木村次郎右衛門さんが今月の6日に亡くなりましたが、116歳の長寿でした。
絶対寿命といわれる121歳までもう少しのところでしたが、絶対寿命への夢と可能性を与えてくれました。

縄文時代の日本人の平均寿命はわずか15歳だったそうです。
鎌倉時代には24歳、江戸時代に40歳、明治時代に43歳くらいで、50歳になったのは昭和に入ってからだそうです。
そして昭和46年に70歳(古希)を越えたのです。

その後も長寿がすすみ、今年20013年の発表では男性79,59歳、女性 86,35歳にもなりました。
この調子でいけば1960年以降に生まれた日本人(現在50歳)の平均寿命は100歳を越えるだろうといわれています。
つまり、50年後の日本人の半分は100歳まで生きられるということです。

拙僧は、人間にとって長寿こそ最高の幸福だといいました。
たしかに長命こそ「寿」であり喜びであることに間違いはありませんが、それは健康でこその話です。
長生きするなら最後まで健康でなければ意味がありません。

現代では、医科学の発展と生活環境の改善により人の寿命は飛躍的に延びました。
しかし、問題は健康寿命です。
いくら長生きしたところで寝たきで人生の最後の日々を長々と生きるのは本人にとってまさに「老苦」そのものでしかないのです。

以上のことから、人間本来の天寿120歳説を信じるとして、その天寿に限りなく近づくためには誰でも自分自身の遺伝子のテロメアをできるだけ消耗しないような生活習慣を心がけることです。

大切な細胞遺伝子テロメアを大事にする生活習慣にこそ真のアンチエイジングがあり、天寿への道があると思うのですが、如何でしょうか。

そのための「養生訓」の一部をご紹介しましょう。
「養生訓」といえば、江戸時代に貝原益軒が著したものですが、その書き出しは、次のように始まっています。

「ひとの身体は父母を本とし、天地を初めとしてなったものであって、天地・父母の恵みを受けて育った身体であるから、それは私自身のもののようであるが、しかし私のみによって存在するものではない。つまり天地の賜物であり、父母の残して下さった身体であるから、慎んで大切にして天寿をたもつようにこころがけなければならない。」

「人の命はもとより天から受けた生まれつきのものであるが、養生をよくすれば長命となり、不摂生であれば短命となる。つまり長命か短命かは、われわれの心次第である。健康で長命に生まれついた人でも、養生の術にかなわなければ早世するし、生まれつき虚弱で短命にみえる人も、保養ひとつで長生きできる。」

益軒は今から380年ほど前の江戸時代の人ですが、当時の平均寿命が40歳といわれた時代、彼自身85歳まで生きた人です。
当時としては相当な長寿でした。

彼は天寿は百歳を上限とすると言っていますが、それを短くしているのは、それぞれの個々の日常生活での養生が悪いためであることを看破していたのです。

つまり、天寿には、人類に備わった終極の限界寿命としての天寿と、各個人が様々な条件のもとで最終的に享受する個人の天寿とされるものがあるわけです。

この個人の天寿がどの時点で到来するのか、自分の寿命はどのくらいなのか、それはわかりません、が、誰でも己自身の生活習慣を鑑みれば大凡予測はつくはずです。

人は生きている以上「老苦」からは逃れられません。
しかし、いくらでも減らすことはできます。
それは、天寿を目指した長寿にかなった生き方を心がけることです。

さいごに、益軒の「養生の七養」をご紹介しましょう。
1.言葉を少なくして内気を養うこと。
2.色欲を戒めて精気を養うこと。
3.味の濃いものを食べないで血気を養うこと。
4.唾液をのんで臓気を養うこと。
5.怒りを制して肝気を養うこと。
6.飲食を節制して胃気を養うこと。
7.心配ごとを少なくして心気を養うこと。

「養生訓」には現代でも通じる、否現代こそ必要な養生の術が説かれています。

合掌

曹洞宗正木山西光寺