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法話

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法話--令和元年12月--

中村哲先生にみる菩提心 ―馬鹿は善人になれない ―

12月4日、アフガニスタンで医療や人道支援に尽力していた「ペシャワール会」代表で医師の中村哲さんが、現地で銃撃され亡くなりました。
享年73、志半ばでの非業の死でした。

中村先生のご遺体がアフガンの空港を出発するとき、ガニ大統領自身が棺をかつぎ、成田空港に到着したとき多くの在日アフガン人が「感謝と謝罪の気持ちを伝えたい」と花束や先生の写真を手に集まり、死を悼みました。
11日の葬儀には1300人以上の人達が参列しました。

モハバット大使は、「守れなくて、こういう結果になって残念で、お悔やみ申し上げます。アフガン人はみんな中村先生のことを愛していたのでみんな泣いている。アフガン人それぞれの心に英雄として永遠に残るでしょう」と話していました。

マスコミがこぞってその悲報と業績を報道する度に改めて凄い人だったんだということがわかります。
2008年に同じように現地でペシャワール会のメンバーとして働いていた伊藤和也さん(31歳)が撃たれて亡くなったとき(法話平成20年8月「菩提心」参考)に語った中村先生の言葉です。

「憤りと悲しみを友好と平和への意志に変え、今後も力を尽くすことを誓う」
異国アフガニスタンのために尽くしたのに、なぜアフガニスタンの地で殺されなければいけないのか、そんな伊藤和也さんの理不尽な出来事があっても、中村先生の視線は常に前を向いていました。

先生は、戦乱と干ばつで荒れたアフガンの地で「100の診療所より1本の用水路」といって現地の人々と共に用水路建設に取り組みました。
2010年には全長約25キロメートルの用水路が完成しガンベリ砂漠は1万6,500ヘクタールの緑の大地に生まれ変わりました。

水路は多くの農地と水の恵みをもたらし、これによって65万人もの難民たちが用水路の流域に帰農し、定住するようになったのです。
想像を絶する途方もない努力があったのです。
こうしたリダーシップと功績から多くのアフガン人から信頼され慕われていたのです。

異国の地で、先生はなぜこれほどまで必要とされ情熱を傾けられたのでしょうか。
それは、中村先生が語った言葉に表れています。
ある講演で、何十年も活動を続けられる原動力について聞かれた時に次のように答えています。

「ここで自分がやめると何十万人が困るという現実は非常に重たい。また、多くの人が私の仕事に対して希望を持って何十億円という寄付をしてくれている。その期待を裏切れない。

何よりも現地の人たちに『みんな頑張れば、きちんと故郷で1日3回ご飯が食べられる』という約束を反故にすることになる。日本では首相までが無責任なことをいう時代だが、十数万人の命を預かっているという重圧は、とても個人の思いで済まされるものではない。みなが喜ぶと嬉しいもので、それに向けて努力することが原動力だと思う」

「泥棒に入る人だって強盗に入る人だって、別に遊び金が欲しいわけじゃないんですね。家族を食わせるために人のものに手をだしたり、米軍の傭兵になったり、あるいはタリバン派の傭兵になったりして、やむを得ずそうするけども、決して誰も望んでいない。

とにかく平和に家族がみんな一緒にいて、安心して食べていけること。診療所を100個作るよりも用水路を1本作ったほうが、どれだけみんなの健康に役立つのかわからないと医者として思う」

こうした中村先生の人柄について、ノンフィクションライターの石戸諭氏は、「中村さんはクリスチャンで、基本的な姿勢は“天命”という考え方に近いと思う。 アフガニスタンで医療支援をしているうちに、人びとの命を守る医者として活動するとともに、アフガニスタンには“パンと水”の問題が重要だと言っていたことを思い出します」と述べています。

人の困るのを見て放っておけない、自分がしなければならないという使命感を「天命」と感じたのでしょうか。
11年前伊藤和也さんが殺害されたとき多くの日本人スタッフが引き揚げたなか、中村先生は残って復興活動に取り組んでいました。

危険を顧みず、現地の人々のためにという固い決意があだとなったようで、残念でなりません。
先生はクリスチャンだそうですが、仏教的にいえば先生こそ「菩提心」に満ちたまさに「菩薩」だったと言えるでしょう。

「約束を反故にしてはならない。日本では首相までが無責任なことをいう時代だが、十数万人の命を預かっているという重圧は、とても個人の思いで済まされるものではない」という中村先生のことばを1億3千万人という国民の命を預かっている安倍総理はどう聞いたのでしょうか。

「桜を見る会」から露呈した税金の私物化や公職選挙法違反の疑惑などの問題にも検証するための名簿や公文書が廃棄され一切残っていないとか。
サーバーに残っていたバックアップデーターについて、行政文書ではないとの認識だというのですから、まさに確信犯的所業です。

安倍一強がもたらした政権内の腐敗が如実に現われた結果といえるでしょう。
安倍政権、行政官僚までが安倍に阿(おもね)て、黒を黒だと言えない、まさに「大馬鹿」になってしまいました。

新聞のコラムに「馬鹿」の語源とその意味が分かり易く載っていましたので紹介します。
今の安倍政権がまさに馬鹿の巣窟だということが良く分かります。

「ばか」はサンスクリット語に由来するというが、「馬鹿」の字があてられたのは「史記」にある中国の故事からという。秦の2代皇帝、胡亥(こがい)に丞相(じょうしょう)の趙高(ちょうこう)が「これは馬です」と言って鹿を献じた話である。

胡亥は「これは鹿ではないか」と左右の群臣に問うたが、多くは趙高におもねって「馬です」という。奸臣(かんしん)の趙高の狙いは群臣の自分への忠誠度を試すことで、この時に「鹿です」と言った物は後に彼によって粛清されることになった。

指鹿為馬(しろくいば)という次第だが、趙高の陰謀によって帝位についた胡亥もばかにされたものである。だが「公文書のバックアップデーターは公文書にあらず」と官房長官に言われた国民もかなりばかにされていないか。

首相の「桜を見る会」の招待者名簿を廃棄したと政府が答弁した5月、実はバックアップデーターがあったというのだ。国会が提出を求めた文書にこんな強弁を用いられては、公文書による行政の公正の担保も何もあったものではない。

そもそも功労者を遇する会の招待者名簿を、秘匿すべき個人情報だというが「指鹿為馬」でないか。首相の公私混同や怪しい招待者が注目される桜を見る会だか、真相をたどると公文書管理の問題に行き着くおなじみのパターンだ。

秦と異なり、居並ぶ役人からも、丞相を出した朋党(ほうとう)からも「これは鹿だ」の声が上がらぬ令和日本である。公文書で真実を検証できない世を放置していては、次世代から「馬鹿」のそしりを受けかねない。

信義も矜持も良心の咎めも捨てて、権力者におもねて、真実を曲げ、ウソを徹底することを「馬鹿」と言うのです。
そんな馬鹿の蠢く政府、官僚の世界と比べると中村先生の魂は遥かに気高く崇高です。

毎年ゴマンの叙勲が連発されますが、真に功績のあった人達にもっと目を向けるべきです。
伊藤和也さんのときにも言いましたが、中村哲先生は日本人の誇りです。
日本に、世界からこれだけの尊敬と感謝を受けている人がいたのです。

世界中で偏狭な自国第一主義が広がる中で、手放しで尊敬するしかない方です。
ノーベル平和賞が与えられて当然の人物だったといえるでしょう。
日本政府は今からでも遅くはありません。
先生に「国民栄誉賞」を贈られたらどうでしょう。
少しは「馬鹿」のつぐないになるかもしれません。

合掌

曹洞宗正木山西光寺