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法話

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法話--平成29年4月--

諸行無常--桜から学ぶ人生観-

西光寺境内の藤棚当山のさくらも駆け足で過ぎ去り、今や藤がその後を継いでいます。
さくらから藤やサツキへとまさに「諸行無常」が引き継がれています。

四月に入って、東京地方から桜の情報が続々伝わってきたのに、どうしたわけか今年に限ってここ房州館山のソメイヨシノは開花が遅くまだ2~3分咲きといったところでした。

桜花のこの時期日本中が桜の話題で溢れかえります。
桜前線や花見情報が毎日のようにニュースになるのも、妙に心がウキウキしてくるのも日本人だからでしょうか。

桜は日本人に最も愛されている花と言っても過言ではありません。
しかし今では桜の人気は世界的になっています。
敢えてこの時期日本の桜を見にわざわざやって来る外国の観光客は年々増えているそうです。

今月の初め、ある檀家さんご夫妻から誘いがあって東京の新宿御苑までわざわざ花見に出かけてきました。
新宿御苑といえば、拙僧の記憶からすれば東京にいた学生時代に行ったことがあるきりで、それ以来だとすればおよそ45年振りのことでした。

どんな場所だったかほとんど覚えていませんでしたが、改めて見る広大な庭園の様々な景観と草木の調和のとれた美しさに心が癒されるおもいでした。
特にソメイヨシノは丁度満開でその絢爛な美しさには改めて感心させられました。

一部ではすでに散り始めていましたが、さくらの種類も色々と沢山あるので、さくらの旬はまだまだ続くようでした。
言うまでもなく、特にソメイヨシノの人気は高く、桜といえばソメイヨシノといった感があります。

桜に見とれながら何故それほど人気があるのかをちょっと考えてみました。
絢爛な美しさは勿論ですが、その花の命の短さに魅力があるのかもしれません。
パット咲きパット散り往くその潔さに人は人生観を重ねるのでしょうか。

「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」(親鸞聖人)
今美しく咲いている桜を、明日も見ることができるだろうと安心していると、夜半に強い風が吹いて散ってしまうかもしれない。

人の命を桜の花に喩え、「明日自分の命があるかどうかの保障などない、一夜のうちに何が起こるかもわからないのが人生。だからこそ今を精一杯に生きなければ」との思いが込められています。

私たちは当然のように自分には明日が有り、明後日も、そして10年先、20年先もあるように思っていますが、その保障は無いのです。
人生「一寸先は闇」なのですから、今を大切にすべきなのです。

ごく最近のことですが、檀家さんで自宅で倒れ急に亡くなった方がいます。
しかもなんと3件も続いたのです。
それぞれ50代、70代、80代の方ですが、ご家族のショックは大変なものでした。
誰よりも驚いたのは当の本人かもしれません。
お別れや感謝の一言も交わせずいきなり黄泉の国に旅立ったのですから、こんな不幸はありません。

死因は後で分かるのですが、その多くが生活習慣病です。
病気にはどれも「未病」の段階があるわけですから、自分の健康状況を普段から把握しておくことが如何に大事かということです。

健康と病気の関係も当然因果応報の理(ことわり)ですから、健康に対する意識を高め、「病気にならない生き方」を学ぶことで、「未病」の段階のうちであれば突然死はかなり避けられると思います。
何度も言うように、健康なくして幸福はありえません。

確かに人に与えられた命の時間には限りがあります。
いつかは必ず死ぬわけですが、気を付けるかどうかで寿命は大きく違ってきます。
「諸行無常」の中で自分の命を如何に大切にするかは本人次第なのです。

「諸行無常」の理を知ることで自分の命と真剣に向き合うことができます。
「いろは歌」は見事に諸行無常の人生観を謳っています。

いろはにほへど ちりぬるを
わがよたれぞ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみじ ゑひもせず

(さくらの花は今を盛りと咲き出しているが、やがて散ってしまう。
それと同じで、この世に誰がつねに変わらずありつづける者があろうか。
この有為の奥山を今日こそのり越えて、彼方の理想の世界に行こう。
そこではもはや、浅はかな夢を見ることもなく、酔いしれることもない)

昨日まであんなに綺麗に咲き誇っていた桜が今日はもう散り始めている・・・
この今絢爛に咲いている桜もあと何日もつのだろうか・・・
桜花の寿命は大変短いけれど、見事に命を全うさせている・・・
人の命は長いようだけれども、自分の生き様はどうだろうか・・・

浅はかな夢を持つのをやめて有為の奥山(諸行無常)を悟り理想の世界を目指そう・・・
桜花は僅か数日間でパッと咲いてパッと散ることで「有為の奥山」を見事に「越えて」いるではないか・・・
桜花の一生は人の一生からみればほんの一瞬でしかありません。
しかし短い生涯の中で見事に「諸行無常」の真如を示しているのです。

桜は、誰かに見せたいとか見て欲しいなどと思って咲いているわけではありません。
その場で、ただ与えられた命を精一杯「あるがまま」生きて命を全うしているのです。
だから人は皆その美しさと潔よさに感動するのでしょう。

私事ですが、自分もこの4月16日で古希を迎えました。
これまでの人生を振り返ってみたとき、どれ程のものだったのだろうか・・・
今日までを顧みると、様々なことが走馬灯のように脳裏を駆け巡りました。

あれから45年、まさに夢の如し。あとそう長くもない人生をどう生き、そしてどう散るのだろうか・・・
他人には「諸行無常」をえらそうに説いているが、自分の「無為の奥山」はこれでいいのだろうか・・・

綺麗な桜を眺めながらゆっくり流れる時間のなかでしばしそんな感慨に浸っていました。
多忙に追われている日々の中で、ゆっくり花見などした記憶がないことに改めて気付ました。

さて、新宿御苑の魅力は絢爛さばかりではありません。
日本庭園の魅力は季節が織りなす「わび」「さび」の景観です。
諸行無常を表した「わび」「さび」は茶道の茶庭からきたものです。

「わび」「さび」の感覚とその魅力は日本人にしかわからないなどという時代ではもはやありません。
新宿御苑にも実に多くの外国人客が見えていましたが、その凡そ7~8割方は外国人のようでした。
日本庭園を見る外国人の眼差しが日本人よりも真剣なのに驚きました。

日本庭園の美、わび、さびの魅力は異文化を越えて確実に世界に広まっているようです。
日本人にとって当たり前のものが外国人からみたらすごく魅力的に感じるものが沢山あるようです。

多くの外国人が日本に来て驚くことに「親切」や「安全」があります。
それも文化だと捉えると、その基本となっているのが「神仏を敬う」宗教観からきているような気がします。

よく言う「おもてなし」文化も、神仏を敬いもてなす精神が「お客様」に向かったと考えられます。
どんな国であれ民族であれ、その文化の基礎は宗教が母体になっているのですから、その国の文化を知るにはその国の宗教を理解することが大事です。

一神教文化の国からきた人には日本人が神社や仏閣に差別なくお参りすることが理解できないようです。
それは日本が多神教文化だということを理解しないからです。

日本人が一神教文化を理解できないのも全く同じ理屈からです。
なぜ日に何度も聖地に向かって礼拝するのか、なぜ派閥抗争で自爆テロや紛争が絶えないのか、なぜ酒を飲まないのか、豚肉を食べないのか。なぜ戒律が絶対的なのか。

宗教に優劣はありません。
大事なことは異宗教を尊重し異文化を理解し合う心です。
異宗教間のテロや紛争などを無くすには相互に理解し合うことしかありません。
それには日本文化が大きな参考や手本になれると拙僧は思うのですが。

合掌

曹洞宗正木山西光寺