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法話

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法話--平成26年12月--

四諦--苦諦その4 病苦その2 病気にならない生き方 その17 アレルギー その1

最低投票率の衆院選は自民・公明の大勝で終わりました。
ただ、言っておきたいことは、4割の得票で8割の議席を取るという選挙制度の下での結果です。
過半数の国民が全てを白紙委任したわけではないことを知るべきです。

とは言え、悲願の改憲に向けて安倍さんは大きな一歩を踏み出しました。
この先待ち受けているのは国民投票という国を二分するまさに天下分け目の戦いです。
大げさに言えば戦争か平和かの戦いです。無関心は許されません。

「愛の反対は無関心」だと言っていたのは高倉健さんでした。
「政治の役割は二つ。一つは、国民を飢えさせないこと。もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと」と言っていたのは菅原文太さんでした。

さまざまな生き様を演じた役者人生の中で到達した哲学ではないでしょうか。
役者はその役自身になりきることでさまざまな人格を経験するといわれます。
その大役者のお二人が極めた処こそ「人間愛」だったのではないでしょうか。

今の政治に欠けているのはその「人間愛」です。
基本的人権よりも国家権力を優先させようとする政治に人間愛はありません。
第三次安倍内閣が発足し、安倍さんは自民党議員の前で「強い日本を取り戻す」と強調しました。
いよいよ安倍政権の暴走が始まろうとしています。

秘密保護法も集団的自衛権も憲法改正もすべては戦争準備のためのものです。
政府は今「武器輸出三原則」を廃し、新たに「防衛装備移転三原則」なんていうとんでもない法律を作ろうとしています。

それは、これまでの武器・兵器及び関連技術の輸出を「原則全面禁止」としてきた従来の立場をやめて、全く真逆の方向に舵を切り、米国やイスラエルへの武器・兵器の輸出や技術協力を解禁するというものです。

それは、これらの国々が今後も行うだろう戦争犯罪に、日本も積極的に加担するということを意味します。
イスラム国の格好の餌食になること請け合いです。
口実を与え日本国内にテロが起こる可能性は一挙に高まります。

原発や武器を売ることが人間愛でしょうか。
人間愛があるところに戦争なんてありません。
そんな人間愛のない政治家に日本の運命を任せてしまって良いのでしょうか。
日本の未来がまさに問われていると言っても過言ではありません。

つい前置きが長くなってしまいました。さて、本題に入りましょう。
今、日本人の約30%がアトピー性皮膚炎や気管支ぜんそく、花粉症、食物アレルギーなどアレルギー性の病気を持っていると言われます。
アレルギー病は、ここ40~50年で急激に増えてきたまさに現代病です。

拙僧の子どもの頃には花粉症やアトピーなど、アレルギーというものはほとんどありませんでした。
アレルギーが始まったのはおよそ50年前からだということですが、この50年の間に人類に一体何が起こったのでしょう。

日本の腸内研究の第一人者として知られる藤田紘一郎(東京医科歯科大学名誉教授)先生によりますと、アレルギーが起こる仕組みは、実は全部同じだそうです。
例えるなら、お茶のようなものです。
お茶の木そのものは一種類で、その葉っぱが製法によって、緑茶になったり、紅茶になったり、烏龍茶になったりします。

植物分類学的に「緑茶の木」とか「紅茶の木」といった木はありません。
それと同じで、アレルギーにはいろいろな種類・症状がありますが、「人間の体内で起こっていること」自体は同じなのだそうです。

では近来なぜ、これほどまでにアレルギーが増えてしまったのでしょうか。
私たち人間の体は、一万年前とまったく変わっていませんし、体を構成する細胞は同じだし、体に備わっている免疫システムも同じ筈です。

藤田先生は、その大きな原因として、人間が文明の下に追及してきた、よりキレイで快適な環境を作ってしまったことにあるといわれます。

一万年前、人類は、裸・裸足でジャングルや草原を走り回っていました。
自然とともに、体をめいっぱい動かして、元気に生きていたのです。
元々自然の中で土や雑菌にまみれ動物に近い生き方をしてきた人類は文明発展のなかでどんどんキレイで快適な生活環境をつくりあげてきました。

とりわけ、ここ50~60年の変化は凄まじいものがあります。
それは、ちょうど長い間山奥で原始的生活を続けていた人間が、急にキレイな都会に出てきて雑菌のない快適なマンション生活に浸ってしまったようなものです。

食べ物は、化学肥料や農薬で形良く育ったキレイな野菜や、防腐剤や着色料、人工甘味料をふんだんに使った口当たりの良いファストフード中心ばかりのものになってしまいました。

問題は、生物としての人間が急激な環境の変化に体がついていけないことでした。
人は自然と切り離されて、身の回りにあった筈の菌を退治した"キレイすぎる社会"に、体はそう簡単に馴染むことができなかったのです。

キレイ社会というのは言い換えれば、「異物を排除することを良し」とする社会です
人間がひたすらキレイ社会を求める過程で、寄生虫も細菌もウイルスもほとんど体内に侵入することがなくなりました。

時と場合により、人間に悪さをする菌を排除することは大事ですが、何も悪さをせずに一万年の昔から人間と共生し、免疫力としてアレルギー抑制に貢献してくれた菌まで悪者扱いするのは問題です。

抗菌とか除菌、消臭といった言葉に踊らされていると、体は抵抗力を失うばかりです。
その結果、それまで体内で活躍していた、さまざまな免疫細胞が"失業"してしまったことでアレルギー病が起こったと考えられるのです。

人間社会でも、職もなくぶらぶらしている暇な人間というのは、何かと問題を起こしたります。
それと同じで、各種免疫細胞たちはあまりにヒマになったものだから、従来は相手にもしなかった異物に反応して、抗体をつくるようになってしまったのです。

このように、寄生虫や細菌などのいろいろな微生物に対応していた免疫担当細胞が失業してしまった結果、花粉やダニなど反応しなくてよいものに過剰反応して起こるのがすなわちアレルギー性疾患なのです。
アレルギー疾患とはキレイ社会が生み出したまさに副産物ともいえるのです。

昨年八月の「法話」の中で、「人間は自然に逆らっては生きてはいけない」という、胃腸外科医の世界的権威、新谷弘美先生のお話を紹介しました。

「人間も自然の一部である。自然の摂理に反すると人は健康に生きられない。それを無視した結果が人間特有の病気を招いている。生活習慣病はその最たるものだ」という先生の言葉が思い出されます。

その言葉通り、人類がひたすら求めてきた「キレイ社会」は、結果的に自然に反する行為だったと言えるのです。
そう考えると、アレルギー疾患は、まさに生活習慣病と同じカテゴリーにあるのです。

人がアレルギー戦争から解放されるには、「自然の摂理に従った生活習慣」を取り戻すしかありません。
一万年も昔から共存共栄してきた細菌やウイルスを強制的に排除することをやめて、極端な清潔信仰と決別するべきでしょう。

アレルギーは、「戦争アレルギー」だけで十分です。

合掌

曹洞宗正木山西光寺